2016年7月14日木曜日

日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 1

今日から看護史に関する本です。

今日我々が普通に見る「看護」は、定義も職業としての成り立ちも歴史が浅い。
先人達がいかに「看護」というものを定義し、
いかに「看護」の意義を示すために苦心してきたことが分かります。

一方で医療の進歩、ニーズの高まりによる看護業務の増大によって、
かつての「看護」から著しく変化してきた現状があります。

本著は充実した写真資料と共に、
歴史をなぞりながら、新旧の問題を浮き彫りにする本となっています。

個人的には、多くの先達の映った写真史料を見て奮い立つものがありました。
医師に隷属していた時期もあったためか、少しコンプレックス的な語調が鼻につくこともありますが、コツコツまとめて勉強して行きたいと思います。



◆看護師の動きもこれまでになく過密となり、かつては医師を批判したデータ重視の姿勢が、看護の日常にも及んでいる
◆保助看法制定当初から二大看護業務とされた、「療養上の世話」と「診療の補助」のありようが、歴史の流れとともに変容するのはやむを得ない。だが、その文言は、制定以来変更されていないところに価値がある

◆社会的な地位に影響するような変化は、第二次世界大戦敗戦が契機となった。占領によってGHQが進駐し、敗戦国の我が国の過去の制度を根本的に見直す諸改革が始まった
◆1965年、人事院は看護師の夜勤制限の必要性を認め、「夜勤は月平均8日以内」「1人夜勤の禁止」などの「判定」を出した。その実現をめぐって、夜勤制限を要求する実力闘争が全国的に広まり、ニッパチ闘争と呼ばれた

ニッパチ闘争とは(ページの一番下)

◆近代設備の整った医療施設の新設や改築などによるベッド数の増加はあるものの、必ずしもそれに見合った看護ヒューマンパワーの得られぬまま、看護業務も診療面に偏り、あるべき姿と現実の姿との乖離に悩む看護師の姿があった
◆資格の二重構造である準看護師問題。看護師不足に端を発したとはいえ、我が国の低医療費政策を支えるもとともなった。
◆看護は1つであり、2つの資格は不要であることを共有しながら、未だに准看護師養成が続いていることも確かな事実である



第1章
◆戦時下に多くの看護婦を必要として国の取った施策は、養成期間の短縮や年齢の繰り下げであった
◆1946年3月には、看護制度審議会が設置され、教育と業務の分科会によって看護婦の教育、業務、資格等について協議された。審議会の目的は、看護教育の基準を改善すること⇒モデル校の創設、職種ごとに再教育の実施等であった

◆保助看法制定。「発生以来医業に隷属してきた看護が、この法によって目覚めて医業の一端を担う、すなわち完全な協力体としてその独自性を認められたことは、新制度における数項目にわたる革新の中の基盤となる原則的思想」
◆1950年、完全看護が導入された。
 ①看護婦(補助者を含む)勤務形態はなるべく3交代制
 ②患者の直接的な看護は看護婦によってなされている
 ③患者付き添いがない
 ④看護記録がつけられている
 ⑤看護に必要な器具、器材を準備する
◆この条件を満たすためには、まず人員確保が必要であったが、当時の医療法で定められていた看護要員数(4対1)では、付き添い廃止は絵にかいた餅に過ぎなかった。完全看護と言う言葉からの誤解も生まれ、1958年基準入院サービスの導入により「基準看護」に改められる

◆1948年、保助看法制定とともに生まれた乙種看護婦であったが、1951年に法改正がなされ、看護婦に名称が統一された
◆サンフランシスコ平和条約発効(1952年)とともに撤退したGHQに代わって日本医師会の力が台頭し、看護婦集団を揺さぶるり、苦しめ続ける歴史がはじまることとなった
◆なぜ、准看護師制度は廃止されないのか。それは、時々の深刻な看護婦不足事態を乗り越える上で、看護ヒューマンパワーの一翼を担う準看護婦を認めないわけにいかない、わが国の医療事情もあった。

◆保助看法によってもたらされた最も大きな変化は、看護職者が清掃や給食などの仕事から解放され、看護を専門とする職業として踏み出したことであると言える
◆看護婦数の配置による診療報酬上の加算条件として、完全看護(後に基準看護)病院では付き添いは認められず、病院の看護は看護婦の手で行うというものであった。一方、診療報酬加算と引き換えに約8,000人の付き添いが病院から離れたことにより、看護婦の人手不足による労働過重は激しくなってきた。

◆療養上の世話が看護業務の中でも、極めて独自性の高いものとされたのは、1960年代前半に翻訳紹介されたヘンダーソンの「看護の基本となるもの」以降である
◆単なるルーチン業務として位置づけられているに過ぎず、その意味を考えたり検証したりすることはあまりなかったと考えられる
◆60年代に入って、経済成長とともに医療技術も進歩し、診療面の仕事量の増加が療養上の世話の仕事に大きく影響してきた
◆療養上の世話業務の内容を変えた原因は、患者のニーズでもなく、理論的根拠でもなく、看護ヒューマンパワー不足と看護業務の過密化の影響

◆昭和40年代頃になって病棟設備も整い、シャワーや入浴の設備が病院内に設けられるようになったことは一面で評価できるが、臥床患者の清拭の様相はかなり変貌した
◆看護ヒューマンパワー不足による効率化の流れに併せて、清拭車が普及し入浴剤などが導入され、石けんを用いない清拭が一般化してきた

(第1章続く)

その2





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