その1
(第1章つづき)
◆衣服がもはや階級差別のシンボルでなくなると、その性的機能がよけいめだってきた。
◆生体を不具にし、あるいは損傷するような服装習慣は明らかに有害な作用をもっていた。数世紀にわたって中国の少女に行われた纏足は、少女を頼りない不具者とし、中国の夫人の解放はこの風習との戦いで始まった
◆西洋諸国では足をくくらなかったが、何世紀もの間腰をしばっていた。コルセットはバロック時代の産物である。
◆フランス革命は古代ローマを理想として夫人をコルセットから解放し、夫人はわずか20年の間だけ古代ローマ夫人のような衣裳をつけ、そのようにみえた
◆王政が復活してコルセットが用いられ、以降それは男子にたいする夫人の中世的服従の無意識的な象徴となった
◆女子が男子と同等の権利を要求する時代がきて、ほぼ夫人が選挙権を獲得した時期にコルセットはきっぱりと投げ捨てられた
◆十八世紀の貴婦人の身に起こったふさぎこみ、失神とけいれんの原因はたぶんコルセットであった。コルセットをきつくつければつけるほど健康に悪い影響をおよぼす
◆身につける衣類が少なければ少ないほど、ふつう人は清潔のようである
◆新しい清潔はごく最近の成果である
◆ペッテンコーファーが多くの人々は二十四時間に一クォートの洗い水で満足しているし、ミュンヘンの家庭では入浴設備は例外であると述べたのは、ほんの1873年のことである
◆汚れは昔から美しいものとは思われなかった。人々が薄いものを身につけ肌を多く露出している時には、いつでも美的な理由から体を洗ったが、衛生上の理由はそれほど顧みられなかった
◆キリストは衣服をつける習慣を現在に結びつけたから、羞恥心という観念を必要以上に育てた。それは人々はできるだけよけい自分の体を覆わなければならないことを主張したので、裸に不健全な魅力をおしつけた
◆衣服は寒さ、雨あるいは日照のような大気の要因から体を保護してくれる。その目的に適うためには、衣服は身体のどの生理的機能をも防げないようにつくられなければならない
◆病気の現象はまた特有な服装を生み出した。
◆無菌法が生まれて特殊の服装が現れ、病院の医師は「白衣の人」となった
◆病人と負傷者を看護をするため中世に組織された修道会は特殊の標章をつけた。こうしてエルサレムの聖ヨハネ慈善宗教団員は八つの尖端がついた十字架をつけていたし、現代では赤い十字が、1863年にアンナ・デュナンが創造した国際組織のシンボルとなった
◆家は天候の害から人を保護し、こうして健康に役立つのであるが、それがある一定の要求を満たさなければ、また健康に害となる
◆居住には根本的に矛盾がある。住居は天候から人を守らなければならないが、その空気は人間の整理的な機能により、また多くの住居によって汚されないよういつも取り換えられなければならない
◆各室にストーブをおくことには費用がかかりすぎたので、普通居間だけがあたためられた。その結果、家やアパートメントの暖房は非常に不均一で、ひとつの部屋から他の部屋へ動く時にはいつも温度の急変に会うことになった。このような有様は確かに健康に良くなかった
◆中央の炉によって家全体を暖房するという考えは18世紀に生まれた
◆現代の空気調和は居住個所の温度を下げ湿度を調節することによって、われわれの快感と仕事の能率を非常に増していることは疑いない。空気調和された家はなお少数者にしか利用できない贅沢である
◆中世には美しい色ガラス窓がつくられたが、より透明なガラスをつくるのには長い年数がかかったし、財産のある者しかガラスの大きい窓をもつことはできなかった。ある国では扉や窓に課税し、その結果安価なガラスがらくに手に入る時になっても、貧乏人の家は暗くて換気が悪いままであった
◆照明ガスがもたらされた19世紀の間に事情は根本的に変わった
◆ガスは新しい火災の危険を生み出したばかりではなく、一酸化炭素を含んでいるのでまmた非常に有毒であり、ガス中毒で多くの死傷者が出た
◆今日人間は暗黒を征服し、照明を自分の必要とかいろいろの職業の要求に応じて加減し、夜にまでその活動を拡げることができる
◆人工照明はわれわれの年の安全、それに人間の活動の速度増加にいちじるしく貢献した。都市の住民は過去におけるよりは睡眠時間が短いし、しばしば不十分であり、それによってさらにその健康は害を受けている
◆人間はその生理的機能と居住の結果として汚物を生み出す。汚物そのものは決して有害ではないが、有機物が分解するからそれは寄生物の繁殖個所となり、人間にとって脅威となる
◆古代ローマ人は大量に使える新鮮な水の衛生的意義を充分に承知していた。古代ローマ人が足跡を残したところにはどこでも、いまだに巨大な水道の廃墟が見られる。
◆生活水準が向上した結果、住民の死亡率は絶えず減少した。1681ー90年の間にロンドンの年間一般死亡率は住民1000人辺り42であった。18世紀にはそれが35に下がり、1846ー55年の間には25、今日ではほぼ12である
◆水洗便所は、詩人であり、エリザベス女王の廷臣であったジョン・ハリントン卿によって発明された。水洗便所は衛生学の偉大な貢献ではあったが、都市が新しい給水と下水の設備をつくった19世紀まではまだ大規模に用いられなかった
◆病気という現象からある種の衣裳が発達したと同じく、特別の型の建物が発達した。その中の主なものは病院である。
◆キリスト紀元の初期にはそれは接待の館、困窮した者および外国人の宿泊用の宿舎であったが、後には貧窮の病人が看護を受け、無料の医療を受ける場所となった
◆中世初期に病人用にとっておかれた修道院のいくつかの部屋から、病院は発展して中世後期およびルネッサンスの大きな病室をもった堂々たる建物、都市の誇りとなった
◆今日病院は苦痛と病の場所であることに変わりはないが、重点は生命の保持と健康の回復にある
つづき
その3
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