2016年7月4日月曜日

ケアの本質 ミルトン・メイヤロフ 第3章

前回から結構経ってしまいました。
第1章

今日は有給でした。
ホテルで朝食からの、プール、カフェでお茶という島耕作みたいな一日でした。
いやあ、優雅やった。
まとめもしっかりとやりますぜ。

今回まとめた章は、かなり示唆に富んでいますよね。

第3章
◆相手をケアすることにおいて、その成長に対して援助することにおいて、私は自己を実現する結果になる。
◆教師は学生をケアすることによって成長し、親は子供をケアすることによって成長する
◆信頼、理解力、勇気、責任、専心、正直に潜む力を引き出して、私自身も成長する
◆私は、自分自身を実現するために相手の成長をたすけようと試みるのではなく、相手の成長をたすけること、そのことによってこそ私は自分自身を実現するするのである

◆ケアにおいては、成長よりも過程が第一義的に重要である。というのは、私が他者にかかわることができるのは、現在においてのみのことだからである
◆現在は、過去から受け継いだ示唆と洞察によって支えられているのであり、新しい成長を見込むことができるという未来への期待によって豊かなものとなっているからである。
◆現在の関心と欲求は、過去の示唆や洞察の中でどのようなものが現在に関連しているか、また、未来におけるどのような可能性が現時点で実際的かつ重要といえるのか、これを明らかにすることができる
◆子供が早く成長して、現在そうでないのに”ひとかどの人物”になって欲しいと望むあまり、焦りすぎる父親は、真の意味で現在の子供をとらえていないのであるから、ケアするということは不可能である

◆ケアするには、ときに特別な資質あるいは特殊な訓練を必要とする。一般的なケアができるということのほかに、ある特定の対象に対してもケアできなければならない。
◆精神病患者に対するケアでは、特殊な訓練以外に、人間関係についてのなまはんかでない感受性が要求される
◆相手に対してケアできなければならないのと同様に、相手もまたケアを受容できる状態でなければならない。

◆ケアは連続性を前提としている。ケアの相手が、絶えず一人また一人と変わるようであれば、ケアは不可能である。対象は一定でなくてはならない。ケアすることは発展的過程を指しているからである。
◆尊敬に値する人が相手に対する約束を破れば、それは自己をも裏切ることである。それと同様に、ケアにおける自責感は、単に相手を裏切るということを意味するだけでなく、自己背信をも意味している

◆友情が深い場合、そのケアは相互関係にあり、お互いが相手に対しケアをするのである。ケアは伝染する。私が相手をケアすることは、その人が私をケアすることの活性化をたすける。
◆全てのケアは、終わりを告げることをもって理想としているように思えるが、私たちは相手の成長を互いにたすけ合うような成熟した関係が、無限に続いてくれることを望む

◆よい日もあれば悪い日もある。ケアには浮き沈みがある。
◆私がある対象について、それが本来的に持っている権利ゆえにそれが存在していると、心の底から感じとっていないならば、私はケアしているということにはならない
◆自分の行動は相手の成長の動態によって変化すべきであり、実際に起こっていることに照らして修正されるべきである以上、もし相手が事実上成長していないのであれば、私は相手の要求に対応していないわけであり、ケアをしていることにはならない。


つづき
第4章



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