2016年6月7日火曜日

優生学と人間社会 第2章の1 市野川容孝

第2章です。

今回からは市野川容孝先生。
市野川先生はtwitterのbotでもなかなか人気です。

第1章の米本先生のバトンを受け継ぎながら、
とある1人の事例(まとめの都合上その要素は抜けているので、本を是非読んでみて下さい)を中心に、ドイツの戦前戦後のナチスにからむ優生学上の動きを辿っています。

戦後、ユダヤ人などは迫害されたという認識の一方、
優生政策上の強制不妊手術は法に基づく正当な行為だったとされたという点が問題点でした。
それでは何故、すぐには不当と認められなかったのか。

↓以下まとめです。

◆”ヒトラーという隠喩”が、優生学の歴史の多くを、逆に見えなくさせる

◆ナチス政府は1939年に、安楽死計画を内密に開始。しかし、精神病院病院の患者や施設にいた障害児が次々と「謎の死」をとげていくにつれ、何か恐ろしいことがおこなわれているとの懸念がドイツ国内で広まっていた
◆1941年にヒトラーは口頭で、安楽死計画の中止を命じたが、表向きで、その後も殺害は続けられていた

◆戦後も、戦前に行われた不妊手術が33年の遺伝病子孫予防法に基づいた合法とされたり、精神分裂病という診断も正しいとされた。
◆1953年西ドイツでナチス迫害被害者に対する連邦補償法が制定された後でも、申請が同様の理由で申請が却下されていた
◆連邦補償法第1定の被迫害者には社会主義者やユダヤ人は含まれていても、ナチスの優生政策の被害者は除外されていたや

◆1980年、西ドイツ連邦政府は、連邦補償法の対象からもれる被害者の救済を目的とした「一般戦争帰結法」(1957年制定)を適用して、ナチズム期におこなわれた強制不妊手術の被害者に対し、補償金(約40万)を払う旨の決定
◆1987年、当事者を中心とした「『安楽死』・強制不妊手術被害者連合会」が結成
◆1988年、ドイツ連邦議会が、遺伝病子孫予防法によるナチスの強制不妊手術の不正を確認(法自体ではなく、強制不妊手術を弾劾)。
◆1990年、一般戦争帰結法の適用ガイドライン改正。全ての強制不妊手術被害者に月額9000円の年金。家族の安楽死により困窮した遺族へ補償金を拡大。
◆1998年、ドイツ連邦議会は、ナチズム期に遺伝健康裁判所が下した強制不妊手術の判決のすべてを、当時なされた他の不正な判決とともに向こうとする法律を可決

◆ナチズムの2層
 ・ユダヤ人その他に対する迫害
 ・優生政策
◆強制不妊手術や安楽死計画の被害者に対する戦後補償を求めて活動した人々も、実現させる一つの政治的工夫として、ナチスの断種法と安楽死計画が、人種差別その他の犯罪的行為と同じく、ナチスの固有の不正であると主張してきた。
◆人種差別にもとづくユダヤ人の大量虐殺や、残忍な政治的迫害がないような国でも、ナチスと類似した優生政策は実施されていた。


第2章の2








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