2016年11月3日木曜日

「武見太郎」まとめ その1

武見太郎まとめ始めます。

◆生い立ち1~日医役員以前~

明治37年 1904年   0歳
 ・京都に生まれる。一家で東京都上野に移る
明治43年 1910年   6歳
 ・谷中小学校に入学
大正  5年 1916年 12歳
 ・私立開成中学に入学
大正  7年 1918年 14歳
 ・腎臓結核と診断され、2年間安静する
大正10年 1921年 17歳
 ・慶応義塾の普通部に転校
大正12年 1922年 18歳
 ・慶応義塾医学部予科に進学
大正15年 1926年 22歳
 ・慶応義塾医学部本科に進学
昭和   5年 1930年 26歳
 ・医学部卒業、内科教室に助手として入局
 ・軍医少尉に任官
昭和  8年 1933年  29歳
 ・農林省共済会の診療所に出向
昭和12年 1937年 33歳
 ・医局を辞め理化学研究所に勤務
  ・世界大戦を予測し、現在の千葉県柏市に土地を購入
昭和14年 1939年 35歳
 ・銀座4丁目に武見診療所を開設 、自ら設計したベクトル心電計の製作に成功
昭和16年 1941年 37歳
 ・秋月種英の次女英子と結婚
昭和18年 1943年 39歳
 ・長男吉太郎を肺炎で亡くす
昭和21年 1946年 42歳
 ・第一次吉田内閣の組閣工作に参画

◆生い立ち2~日医役員以後~
昭和25年 1950年 46歳 
 ・日本医師会副会長に就任(田宮猛雄会長) 
 ・就任後4カ月でGHQサムス公衆衛生福祉局長と対立し、日本医師会から追放される 
昭和27年 1952年 48歳
 ・田宮猛雄会長の下で再び副会長に就任 
昭和32年 1957年 53歳 
 ・日本医師会長に就任 
昭和34年 1959年 55歳 
 ・アジア・大洋州医師会連合設立を提唱し、東京で開催された第1回総会の会頭に任命される 
 ・中医協ボイコット(坂田道太厚生大臣)
昭和35年 1960年 56歳 私的医療機関の設備改善のために政府に強力に働きかけ、
 ・医療金融公庫の設立に寄与 
昭和41年 1966年 62歳 
 ・ローマ法王パウロ6世より医療倫理に関する研究に対して銀メダルを贈られる 
昭和45年 1970年 66歳 
 ・世界医師会理事に就任 
昭和50年 1975年 71歳 
 ・世界医師会会長に就任 
昭和55年 1982年 76歳 
 ・胃がんに倒れる、一時は回復する
昭和58年 1983年 79歳 
 ・胆管がんのため死去 



つづき
その2


参考文献

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