2016年11月23日水曜日

「武見太郎」まとめ その7 ラスト

ラストです!

前回
その6

◆引退
・昭和55年 胃がんにより手術
・昭和57年 会長選挙において、考え方の近い宮城県医師会長亀掛川守を推すが、長野県医師会長花岡堅而に敗退(武見時代の終焉)。
・昭和58年 死去

◆日本医師会長 歴代在任期間トップ3
1位 第11代 武見太郎 25年
2位 初代    北里柴三郎 15年
3位 第2代  北島多一 12年

◆武見ってどんな人だった?
・開業医は病院を持つよりも、地域医療を大切にして、必要な患者だけを医師会病院などへ入院させ、あとは往診などによって、地域の家庭医として貢献すべきだ、というのがかねてからの武見の持論であった。 (三輪和雄)
・武見はいかにも哲学があるようなことを言うが、本当は“欲張り村の村長”の代表で、その主張をオブラートに包んでいただけだ。(舘林宣夫、技官、環境衛生局長、医療課長)
・武見の言っていることは、よくわからないことが多いが、彼の言う組合健保と政管健保を廃止して健康保険を一本化するという考え方は私は正しいと思う。ただ、武見に“それはどういう手順でやるのか”と聞いても“それを考えるのは厚生省だ”と言うだけだ(和田博雄)
・武見太郎の25年にわたる“闘い”を見ていて、ちょっとうんざりさせられるのは、武見がいつも医療の原則論を主張して、自民党は結局それを飲んで、いちおうの結末を迎えるが、自民党はいっこうにそれを実施しようとはしない。何年か経つとまた武見が同じことで怒る。その繰り返しのように思える。・・・武見が主張していることは、いつも同じなのだ。(水野肇)

◆武見の特徴(と言われるもの)
・反官僚
・パターナリズム
・人脈
・強烈なワンマン
・独自の生命・医療観と理論
独自の地域医療観や教育観を持っていた一方で、それらを実現させるために必要な医師会長(欲張り村の村長)の座を維持することとの間に葛藤があったのではないか。



参考文献
       

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