2016年11月23日水曜日

「武見太郎」まとめ その6

前回
その5

今回の記事は、武見太郎関係の出来事についてですが、
主に島崎謙治「日本の医療」からのまとめが多いです。
本はサイドバーに⇒⇒⇒

皆保険前後の制度史的な話なので、
割と実用的な記事かな?
少しずつでもご覧ください。

↓それではどぞ


◆診療報酬関係 1
・医療制度のあり方をめぐって各種の審議会や委員会で議論が繰り広げられる
 -保険診療は公的医療保険制度の枠内にある以上、規格診療とするとともに保険医に対する規制も強化すべき(規制強化論)
 -保険医に対する規制は撤廃し、公的医療機関はともかく私的医療機関は原則として自由診療とし、患者は保険者から国が定めた標準医療費を療養費払いによって償還を受ける仕組に変えるべき(規制撤廃論)
七人委員会および医療保障委員会は基本的に規制強化論の立場
・社会保険による適正診療は一種の制約を受けざるをえない規格診療:医療保障委員会最終答申(1959年)
 -医療の本質が医師と患者の人格的な交流を基盤とする
 -「近代社会の進展にともなって、医療が多かれ少なかれ社会化していくとは必然の趨勢」
保険医と保険医療機関の二重指定制(1958年旧国保法改正)
 -診療報酬の受領等は組織体としての医療機関が行う
 -医師だけでなく医療機関の適性を確保する必要があった
 -二重指定制は今日に至るまで存続

◆診療報酬関係 2
「保険医療機関及び保険医療養担当規則」(1957年)
 -結核の治療、抗生物質製剤による治療などについて、個別に治療方針・治療基準等を定める
 -日本医師会(会長:武見太郎)は、規制強化の動きに医師の主体性と専門職の自由を侵害するものとして反発(皆保険実現により保険診療が圧倒的ウェイトを占めるようになった)
 -保険診療の内容については、1960年代には規制が撤廃される
  ■抗生物質の使用基準が大幅に改正(1961年)
   @抗生物質ごとにその使用製剤が掲げられていたが、薬価基準に収載されれば自動的に使用可に
   @抗生物質および関係製剤の使用順序の規制が廃止
  ■副腎皮質ホルモン剤の使用基準が大幅に緩和(1961年)
  ■「結核の治療方針」が全面改正(1963年)
   @化学療法におけるストレプトマイシン等の三者併用の適用範囲の拡大
   @試用期間の延長等の大幅な規制緩和
 -医学の進歩に即応し、保険医療の改善を図れる一方、医療費の増加、保険財政悪化の大きな要因となる

◆診療報酬関係 3
・診療報酬を巡る激しい対立
 -新医療費体系
  ■GHQサムスの指示により設けられた臨時診療報酬調査会(1950年)が「物と技術とが不可分の形をとっている診療報酬を物と技術の報酬に区分して考えるべきである」と答申したことが発端
  ■技術料が薬事料や注射料等の一部になっており、高い薬を使うほど高い収入が得られる仕組みとなっていた診療報酬体系を、技術料、人件費、諸経費、薬代に分け技術料を正当に評価する目的
 -原価計算の必要性
  ■厚生省が医療機関のコスト・収支状況等の調査等を行う(1952年)
  ■これを基に診療報酬改正案を作成し中医協に諮問(1954年)
   @日本医師会が反対
    ^診療の難易度に対する考慮がない
    ^総医療費の枠にとらわれている
    ^本音は、投薬の多い開業医の収入が減少すること(?)

◆診療報酬関係 4
・甲表と乙表の二本建てからなる新点数表が定められる(1958年)
 -甲表
  ■医師の技術を重視する観点から手術等の点数を高くする
  ■投薬などの点数を低くする
  ■初診や入院の際の投薬料や検査等は初診料や入院基本料に含める
  ■国公立病院や公的医療機関が多く採用
 -乙表
  ■投薬料・注射料について使用薬剤の価格に関わらず技術料は定額(物と技術を分離)
  ■他は従来の点数表通り
  ■開業医や中小病院の多くが採用
・診療報酬の改定プロセスと中医協
 -中医協における診療側の代表権問題
  ■日本医師会は強く反対、日本病院協会は賛成⇒診療側同士の対立
 -諮問方式と建議方式
  ■厚生大臣の諮問に応じ中医協が審議し答申するという諮問方式がとられてきた
  ■建議方式に変更(1967年)
   @諮問の範囲・内容に拘束されない議論
   @医師会と支払側(健保連や総評)のイニシアティブの取り合い
   @医師会のイニシアティブがなくなったためメリットがなくなる
   @諮問方式に戻る(1973年)

◆診療報酬関係 5
・日本医師会によるスライド制の導入要求
 -スライド制
  ■医業費用を1)医師給与、2)医師以外の医療従事者給与、3)医薬品を除く物件費に分ける
  ■1)は1人当たりGNP、2)は雇用者所得、3)は消費者物価指数に連動させて伸ばしていく
  ■単価(P)×量(Q)のPだけに着目しており、当時はQの自然増が大きかった(人口増、受診率増)
 -保険医総辞退(1971年)の収拾に際し政府と取り交わした
 -シンプルなので、改定幅を確実かつ迅速に決めるのに都合がよい
-1974年改定以降、実質的にはスライド制の考え方が取り入れられた(明確なルールとしてはない)
 -スライド制の見直し(1981年)
  ■医療機関のコスト増から医療費の自然増を差し引けば足りるという考え方が採用される(自然増控除方式)
・診療報酬の地域差撤廃
 -全国を3つに区分(1944年)
 -甲地(6大都市とその周辺)と乙地(その他の市町村)の2区分(1948年)
 -新医療費体系導入後も、甲地と乙地では、甲表では5%、乙表では8%の地域差
 -厚生省は国保財政への影響を懸念して地域差撤廃に反対
 -医療機関の都市部偏在を助長する要因は廃止すべきという声が高まる
 -保険医療問題懇談会の了解事項に撤廃が盛り込まれる
 -乙地の診療報酬を甲地並みに引き上げることで撤廃され今日に至る




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