2016年7月7日木曜日

優生学と人間社会 第2章の3 市野川容孝

社会保障の代償が社会化(国有化)ということは、
往々にして頭に置いておかなければならないですよね。

義務と権利。
その対応関係を忘れていると後で痛い目に合うと。



前回
第2章の2

◆ワイマール憲法は、「所有は義務をともなう」というかたちで自由主義経済に一定の歯止めをかけ、包括的な社会保険制度の導入や、労働者の権利の保障など、すべての者に「人間としての尊厳を有する生活」を保障することを社会の義務とした
◆福祉国家と優生学はおよそ対極に思えるが、事実はむしろ逆で、ワイマールの時代に、優生学は、社会意識の面でも、具体的な政策の面でも、着実にドイツ社会に根を張っていった
◆ワイマール期のドイツは、戦争後の廃墟からの出発、そして福祉国家の立ち上げと言う二つの点で、第二次大戦後の日本と非常によく似ている。無視できない違いもあるが、優生政策が戦後になって本格化していく日本の問題にも手がかりを与えてくれる

◆多くの優生学者達は、戦争を逆淘汰の一つとして真っ向から批判した
◆逆淘汰(生物学的に「優秀な」者が減り、「劣等」な者が逆に増加すること)

◆プレッツ(前回参照)は、優生政策を実現するうえで、ヒトラーに大きな期待をよせ、ナチスに接近していったが、同時に、戦争回避と平和の維持をもヒトラーに懇願していた
◆プレッツは1933年の断種法によってやっとドイツでも緒についた優生政策の成果が、再び戦争が開始されることで、すべて台無しにされることを何よりも恐れていた
◆「戦争は、生まれつき優秀な者の出生率が低下するのをくい止め、低価値な資質の持ち主を民族内部から除去するために人類衛生学が全精力を傾けておこなうことのすべてを、一瞬のうちに、何百倍、何千倍の規模で無に帰してしまう」
◆プレッツは、ナチス首脳部との対立も覚悟のうえで、戦争抑止のため積極的に活動し、1936年には、北欧の優生学者たちの力添えでノーベル平和賞の候補者にさえなっている



〇マックス・ヒルシュ
◆人口政策には量と質の二つの側面があるが、戦争が終わりを告げた今、富国強兵のための人口増大政策はもはや必要なく、今後、力を注ぐべきなのは人口の質の向上であると説いた
◆劣悪な住居環境の改善と栄養不足ゆえに死んでいる現状の改善
◆貧弱な子供の出生を予防し、屈強な子どもが生まれ、生きながらえるようにする事こそが、新生ドイツにおける人口政策の課題

◆第一次大戦によって多くの女性が夫をなくした。
◆自分で働き、かつ子供を育てなければならない女性が確実に増える
◆そうした女性たちの負担を軽減するために、子どもの養育を肩代わりする公共施設が必要
◆来るべき世代は、単に親の子どもであることはできない。そうではなく、人民の子ども、国家の子どもであるのだ
◆新しいドイツ人民国家において社会化(国有化)が着手されるのであれば、その対象として、経済において最も重要な材である人間の生命が忘れられてはならない


◆福祉国家としてのワイマール共和国は、従来、家族という指摘領域で女性たちに押しつけられてきたさまざまな役割を吸い上げ、その社会化(国有化)を目指した
◆国家社会が家族という敷居を取っ払いながら、人間の生命の維持や再生産に深く介入していくことを意味した


第2章の4



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