2016年7月20日水曜日

日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 4

前回
その3

◆1985年に改正医療法(第1次医療法改正)が公布。2年後に試行。医療計画を策定することが決められた
◆医療計画により必要病床数(現在は基準病床数)が規定されると、それ以降は病床数を勝手に増やすことができなくなり、法施行前の駆け込み増床が1987年ごろより社会問題となった
◆医療の高度化等による看護職員の需要増に加えて、病床数が急激に伸びたため、これに対応しきれず看護職員の需給の逼迫を一層深刻なものとした。
◆これに伴って現場の看護職の労働条件が悪化し、日本医療労働組合連合会(医労連)は労働条件の調査をする一方、看護婦闘争を開始
◆1990年、医労連は「ナースウエーブ行動」として、北海道、大阪などの地域での宣伝とデモ行進を実施
◆1992年、看護婦等の人材確保の促進に関する法律案が衆議院本会議で採択される
◆医労連が「看護婦110番」を実施。準看護学生が準看護婦学校に通うことの前提として病院・診療所等が準看護婦に労働を義務づける「お礼奉公」が社会問題となる

◆医療の高度化、平均在院日数の短縮等の医療提供体制の変化に伴って看護業務の密度が高まる中、新卒看護職員の早期離職が明らかになってきた
◆離職理由には①基礎教育終了時点の能力と現場で求める能力とのギャップの大きさ、②現代の若者の精神的な未熟さなどが挙げられている
◆新卒1年未満の看護職員の再就職は、一般の看護職員以上にハードルが高く、キャリア形成に悪影響を及ぼす

◆外国人看護市の導入は、公的には経済連携協定(EPA)によるが、これは人材確保を目的とせず、看護教育・日本語教育の問題、在宅分野の活動制限もあり、現状では国外の看護師による人材確保は困難
◆看護師の就労者数は2004年頃までは25~29歳が頂点として鋭い山となって30歳以降急激に減少していた。2008年には25~29歳よりも30~34歳が多くなり、35歳以降も緩やかな下降線。
◆準看護師就労者数は1982年には20~24歳を頂点として鋭い山を形成していた。2008年には20代30代は減り、40代、50代を中心とする就労構造となっている。
◆2006年に高年齢者雇用安定法が改正され、病医の事業所は体制を作らなければならなかったが、看護師・準看護師のいずれにしても60歳以上は急激に減少しており制度改正の波及効果はまだ十分とは言えない

◆介護施設・事業所、福祉施設は40代、50代が多くなっている。長い臨床経験と看護の技を持つ中高年看護師が、セカンドキャリアとして介護・福祉領域を選択している可能性が考えられる
◆現在、介護・福祉領域では病院以上に看護職の不足が問題となっている。2006年の介護施設における看護職員の離職率は介護老人福祉施設で23.9%、介護老人保健施設では18.9%で、病院よりも高くなっている



つづき

その5




0 件のコメント:

コメントを投稿