2016年10月4日火曜日

日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 7

本当に試行錯誤の歴史ですねえ。

そして日本はやはり海外から仕入れて、
自分色に作り直すのが上手いですよね。

前回

戦後間もなくの看護婦は種類別に機能別に割り振られた業務として1日中、同じ業務を実施していた。「機能別看護方式」と呼ばれた。
◆1960年代当時はタイムスタディの調査研究が盛んに行われ、看護婦の関心は患者への「直接ケア」と診療介助の「間接ケア」や記録に向けられ、直接ケアを増やすための分析を行っていた。
◆1955(昭和30)年から1965(昭和40)年にかけてアメリカに留学していた看護婦たちが帰国後、現場に伝えたのが「チームナーシング」
◆看護婦の責任と権限を看護のチームで発揮する形で、カーデックスを活用して看護計画や看護問題が記載され、准看護婦.補助者を含めたチームでチームの受け持ち患者に看護を提供し、看護計画や看護サマリーも看護婦の判断で書くようになった

◆基準看護の導入で、一般病棟は一類看護の場合、患者4人に1人の看護要員の配置となった。つまり、患者40人の看護単位の看護要員の人員構成は10人(看護婦:准看護婦:補助者が5:3:2)とされたが、看護婦の数が足りず、暫定措置として4:4:2の割合で当分の間認められた。
◆機能別看護方式から、受け持ち患者を決めてケアの内容に責任を持っ方法として
日替わり受け持ち方式」が試みられた。

◆1962(昭和37)年、日本看護協会と日本病院会が合同で、看護婦の行うべき業務は何かを追求した。
⇒看護婦としての専門職性が初めて論じられた。
⇒他職種に渡していったら何も残らないとする「玉ネギ論」と、芯に立派なものが現れてくるとする「竹の子論」。
◆日本の実情に合致し、しかも実施可能な方式として、「チームナーシング」と「受け持ち制」を合わせた
固定チームナーシング」が生まれた。現在もこの形が主流で、各病院に合わせて変化・継続。

◆従来、新生児は、母親の附属としてカルテは母親のものだけであったが、昭和40年代後半に起こった赤ちゃん盗難事件などを契機として、ようやく個別の患者として取り扱われるようになった。
◆看護婦不足の中で、アメリカのコロンビア大学で開発された、少ない人数で段階的患者ケアによる看護の必要度に応じた人員配置
PPC(prressive patient care)看護方式として新設医学部の筑波大学附属病院で初めて導入されたが、入院患者の看護度を中心にICU(集中ケア病棟)、中等度、セルフケア、外来、在宅ケアへと患者が病棟を移動する方式は医師にはなじめず、全国に拡大するには至らなかった。
◆ICU、NICU(新生児ICU)、CCU(心疾患ICU)などは多施設に導入されていった

◆患者の意識に変化が見られ、大部屋でも常時力ーテンを閉め、プライバシーの保護を好む傾向が強くなった。
◆患者の
プライバシー・テリトリーも研究されるようになり、ベツド間隔や病室の広さや場所(ベッドの向き)なども配慮されるようになった。
◆2001年、医療法施行規則で患者1人あたりの病室の広さが6.4mとして示され、また、診療報酬の加算で、対応が推進されてきた

◆平成時代に入ると、アメリカ発のプライマリーナーシング方式」の導入が図られ、日本の看護界に大きな刺激を与えた。
◆当時の日本では、大学卒の看護師の数は、プライマリーナースとして3~4人の患者を受け持つのには足りず、十分に浸透するには至らなかった。
◆日本的に編み出したのが「固定チームナーシング」で、チームとして受け持ちを定め、受け持ち看護師が持続して看護計画を始め、質の高いケアの実施をする方法に移行し、現在に至っている。
◆その受け持ち看護師を、日本的にプライマリーナースと呼んでいるところもある。

◆看護職員は、かつては全寮制の下、宿舎から勤務に就く病院がほとんどで、結婚が決まると退職するのが普通であった。
◆1955年頃には戦後の復興もなされ、日本全体の生活が落ち着き、看護宿舎も新しくなって少人数の部屋から個室となり、希望者が寮費の一部を負担し自立する者も出現するようになった。
◆現在は個人の生活に重点が置かれ、希望者は通勤も入寮も自由になった。
◆パートタイム勤務の取り扱いも、「時間的に専門職の仕事をする者」として看護職員間の意識も変わり、結婚後も仕事が続けられるようになった。
◆病院も保育施設の併設をする所も増え、待遇に配慮するようになった。
医療施設側にとっても看護職の資質向上のためキャリア開発が必要であるとの考え方の変化から、教育費・図書費の予算を計上し、学会参加・各講習会への参加や資格取得の援助や、認定看護師・専門看護師の育成にも配慮するようになった。
◆都道府県によっては、県の条例により「長期自主研修制度」が制度化されており、県職員であれぱ、自主的に申謂することができ、最高3年まで「教育休暇」を取ることができるようになっている。
◆近年、企業におけるWLBの考え方が盛んであることから、看護職にもこの考え方が取り入れられつつある。かっては「滅私奉公」が強いられてきたが、組織も活き、個人も活きる時代になり、「ケアする人のケア」は看護管理の重要な視点となってきている。
◆さらに、昼間の大学院修士課程に進学希望する者も多くなったことから、都心には夜勤専従看護師制度をとる病院も現出し、あるいは勉学(大学・修士・博士)のための一時休職などについても、理解し、援助が考慮される医療施設が増えてきている。
◆看護職のWLBが実現することで、満足度・職場へのコミットメントが高まり、生産性・継続性が可能となり、看護ケアの質の向上につながることになる。





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