前回
その4
文中に出てくるレプラとはハンセン病の古い呼び名です。
ハンセン病 wiki
(余談だけど、みんなwikiに寄付しようね)
一昨年に東京都清瀬市にある、
国立ハンセン病資料館に行った時の手記が残っていました。
「本当にレッテルって怖いなとか、国の政策ってのは簡単に人を踏みつぶすなとか、宗教ってものの影響力とか、どんな状況でも正しい道を探ろうとする人はいるんだなとか、まあ何か色々と考えさせられた。
清瀬は病院や診療所、看護大学校や労働安全研究所などが点在。しかもボロボロの団地が乱立していて、町全体が一つの病院のような雰囲気に包まれていました。とても生気を吸い取られる気がした。」
一度行ってみてください。
◆共同社会では身体の欠陥のある人でさえも有用な仕事ができるようになっている。一部分不具なものが仕事をし、病気の熟練労働者が不熟練労働者の列へ転落しないよう、あらゆる手段をもって守るのにソビエト連邦がいかに大きな努力をしているのかを見るのは興味深い。
◆医学の目的は病気を治療する事だけではない。むしろ社会の重要な一員としてその環境に人を適合させておくことであり、あるいは病気に押されたとき彼らをもう一度それに適合できるようにすることである。この仕事はただ身体の復旧によって果たされるのではなく、社会における職を当人が再び見出すまで続けられなければならない。医学が根本的には社会科学であるという理由はこれである。
◆スマトラ島の各部族は太古の森に住んでいる。ちょっとした病気、皮膚の発疹、傷、それに似た軽い病が多い。彼らは社会生活を行えるかどうかで判断し、身体的な基準に従わないから、こんな病気に患っているものは他の部落民と違っているとは考えられない
◆重い病気、特に稀でなく起こる事件、天然痘の流行のような熱を出す病気の場合には事情が違っている。このような患者は種族の生活に参加できないため無能力で、種族及び自分の縁者の両方から遺棄されるという厳しい反応が起こる
◆古代東洋のセム人の文明を調べてみると、病人は決して罪のない被害者ではなく、むしろ苦痛によって自分の罪の償いをしているものだという考えにぶつかる。すると病気は罪の処罰となる。この考えはバビロニアで見られ、旧約聖書にはっきりと述べられている。
◆古代ギリシア人の社会は健康者、完全者の世界であった。紀元前5世紀およびその後長い間、ギリシア人にとっては健康は最高の善であった。したがって病気は大きな呪いであった。病気は完全さから人を除け者にし、下等なものにしてしまう。
◆病人、不具、虚弱者はその状態が改められるときに限り、社会から相手にしてもらうことが期待できた。虚弱者を処置するもっと実際的な方法はそれを殺すことであり、それは非常にしばしば行われた。
◆患者の状態が絶望的で、その病気が不治であれば問題の目標に到達できないのであるから、医師にとっても患者にとっても医療が馬鹿げたものに見えた。絶望者の世話をするのはギリシャの医師には倫理的でないと考えられたであろう。
◆病人に対する社会の態度において、最も革命的で決定的な変化をもたらしたのはキリスト教。キリスト教は治療の宗教として、救世主及び贖罪の喜ばしい福音として生まれた。恵まれないもの、病人および苦悩する人にキリスト教は話しかけ、それらの人々に治癒、精神と肉体の回復を約束した。
◆地域社会の病人と貧乏のな者をお世話するのはキリスト教徒の義務となった。洗礼の儀式が済むと、子供が自分の家庭においてもっているあらゆる義務と特権とをもって、人はキリスト教大家族の一員となった。
◆キリスト教が国の公認宗教となったとき、その家族は社会全体を包含し、それ以来社会はその病める成員の世話をする義務を引き受けた。
◆初期にはそれはキリストの隣人愛で、18世紀と19世紀には人道主義となった。今日社会は病んでいる成員をもっていることで非常な不利益を持ち、病気に罹っている人々は全民衆に脅威となっていることを認め、実際的な理由からわれわれはまた貧しい病人お世話している。
◆ごく最近までまだ精神病はふしだらなの生活に対する罰で刑罰であり、民衆が罪を犯したその器官に現れるから、性病は非常に適切な懲罰と考える人がいた。病気についての古い応報観はまた自分の苦痛を不当と考える患者の怒った感じの中に現れている。
◆病人の特恵地位が明白であればあるほど生存競争から逃れて、病気の状態に逃げ込む傾向が明瞭であった。オイゲン・ブロイラーが指摘したごとく、これは一般にヒステリーと呼ばれる状態の主因である。
◆ヒステリーは正常な人間なら逃避の手段としては利用しない病気である。ある程度同じことが仮病にも当てはまる。病気のふりをし、病気をつくり出し、あるいは長引かせることで義務を免れたがる者は誰でももともと病人に許されている特恵的な地位を得たいためにそれをするのであるが、それを病的な基礎の上にやっている。
◆少なくとも仮病は正常な状況の下に起こるのではなく、正常の心理状態ではない。
□レプラについて
◆病人の体の外見にたいして社会は常に非常に強く反応する。皮ふ病はむかむかとすると思われているが、結核患者の衰弱した体はただ憐みの感情を喚起するだけである。
◆中世初期レプラが社会の脅威となり始めたとき、民衆はそれに対して激しく反応した。医薬による治療法は知られていなかったし、医師は無力であったから、この病気を攻める唯一の方法は社会的な手段であった。そこで教会がそれと戦うことを引き受けた。それにはレビ記の戒律が用いられた。その13章には次の厳しい章句が見られる。
→レビ記 13章をご覧ください
◆中世のイタリア
診断が不確実であれば患者一時的にすべての人から離れた場所に隔離され、後になって再検査された。しかし診断の決定に何の疑いもないと、レプラ患者は終身隔離された。患者は人間社会から追い出され、市民の権利を奪われた。
◆トレブスの街で出された禁令(本にはいっぱい書いてあるんですが、はっと思ったのを抜粋します)
・汝はどんな買いたいものでも、棒を持ってしか触れてはならない
・途中で誰かに会ってその人が汝に尋ねたら、風が吹いている方向から横へそれるまでは答えてならない。
⇒ちょっとひどいような気もしますが、今日の感染症についても同様のことはされていると思います。
◆今日キリスト教が有力な宗教であるところではどこでも、レプラ患者の隔離されている。(1943年ぐらいの出版です。)社会は結核を恐れないが、主として聖書の言い伝えからレプラをされている。
◆日本とかその他の非キリスト教国では、レプラ患者は処置を受けているが、隔離されていなくて、隔離をしている国と同じ結果になっている。
◆治療が改善された結果、多くの例ではその進行が停止、患者は宣誓の上釈放されている。この点世界中で全く相違がある。レプラ療養所における隔離はもはや以前とは違い終身の決定ではなく、患者にはなお望みがある。
つづき
その6
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