2017年2月3日金曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その5 ラスト

前回
その4

「保守政治の良識」というところはハッとしました。
本質を突いてますよね。

右とか、左とか、保守とか、進歩とか、、、
どっちが良い悪いとか色々言いますが、こういうことですよね。
どっちにも意味がある。バランス。選択肢の多様性。
変わらないことも1つの立派な選択肢。

それではラストです!学びの多い本でした!

【ルール9】
◆純粋な理想主義者ほど、理想を共有しないものに対しては過酷、残酷になる
◆現実とは多様であり、人間の働きかけによって動きうるものであるにもかかわらず、日本では常にある種の現実が不動の前提とされ、それに追随することを現実主義と呼ぶ傾向があると言う
◆一国の外交力は、どれだけ多様なシナリオを準備し、それに応じた多数の行動の選択肢を持っているかにかかっている。したがって、常に一つの答えしか持たない日本には、外交力はない
◆保守政治の良識は、目的と手段の関連を考慮し、善なる目的のために大きな犠牲が生まれることにブレーキをかける。また、理想の美名の下で権力が暴走することを批判する。
◆アメリカの政治家が、狂信的、熱狂的になる理由や背景は分らなくもない。アメリカはキリスト教の影響を色濃く受けている。特に、キリスト教の中でも原理主義と呼ばれる宗派、福音主義が近年政治的にも影響力を持っている
◆理想を求める運動が過激化し、理想に向かう純粋性を競うような状況に陥った時、この流れに身を任せることは楽である。狂信的な運動に水をかけ、本来の理想とと今の運動が矛盾していないかどうか問うことは、とても勇気がいることである。
◆社会主義の代わりに自由な市場、革命の代わりに改革、共産党幹部の代わりに経営者と新自由主義の経済学者を配置すれば、同じような理想主義が幅を利かせていることに気づく。
◆日本における小さな政府路線のリーダー、小泉純一郎という政治家は、保守政党の出身でありながらユートピア主義者であった。そのユートピアを飾り立て、人々に受け入れさせたのが、改革というシンボルであった。
◆学力低下が著しいのは学力の中位から下位の子供たちである。つまり、従来は何とか授業についてきた注意から下位の子供たちが底ぬけしたことで、全体としての平均点が下がっている。だとすれば、学力向上を政策目標とするならば、底ぬけを止める対策が必要となるはず
◆平均点を上げようと先生が必死になれば、できの悪い子を病欠させたり先生がカンニングを手伝ったりという結果になる。競争原理は特効薬ではなく、現実の問題を何も解決しない
◆抜本的な変革、改革を求めるためには、有能で強力なリーダーが必要だという発想から、民主主義を否定することにつながる◆少数の主人と多数の従順な奴隷たちに社会を二極化して、反抗する人間を片っ端から粛清できるシステムでなければ、「社会を一気によくする」ことはできない
 ⇒ここでは批判的な意味で使われています。
◆市場で生きてきた営利企業だけではなく、学校や病院などの利益追求と無縁だった組織も、ヒエラルヒー体質を強化していくことになる。こうして、競争主義が広がるにつれて、様々な組織においては上下関係が強化され、上意下達のエリート主義がはびこる
◆哲学者の柄谷行人は、統整的理念という言葉で、この点を説明する。統整的理念とは、柄谷がカントから借りてきたもので、この世のどこにも存在しないものだが、それがあることによって社会を少しずつよい方向に換えられるという概念である
◆本当に世の中を変えるためには、現実を冷静に見渡し、策を周到に練らなければならない。そのためには、一時の熱狂に踊らされない慎重さと、有益な政策を見極める熟慮が必要である。

【ルール10】
◆我々が生きていくうえでは、いちいち理由を詮索せず、そういうものだと信じて守るべきルール、自明のルールが必要である。人を殺してはならないというのは、その種のルールの筆頭である
◆理由のない当たり前に縛られる人間は、未開人である。人間が知的に自立した存在になると、自分たちを縛る当たり前の根拠を疑い始める。そこから政治の闘いも始まる。◆政府の持っている予算や公務員の人的資源には制約がある。したがって、何が政策の対象になるかを選択すると同時に、何は政策の対象にならないかを選択することが必要となる。
◆政策の対象にならない問題は、社会的な問題として認知されず、個人の自助努力の問題、市場における取引の問題として放置される。

◆政策テーマを設定することは政治的な作業であり、必ずしも公平ではない。場クラックとパラッツは、社会的偏見の動員という言葉によって、この点を説明する。
◆伝統、イデオロギーなどの道具を使ってある種の問題設定を人々に受け容れさせるのが、社会的偏見の動員である
◆介護労働者は常に低賃金労働を強いられ、介護を受ける側は十分なサービスを受けられない揉んだ誌がある。介護に対する政策的取り組みを不十分なままにしておくことを正当化する社会的偏見が、家族を中心とする日本的福祉という言葉である
◆まず現場で苦しんでいる人が自ら声を上げなければ、メディアにとっても問題を伝えようがない。無力感を持つ必要はない。






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