その1
ラストです。
その1で紹介したNHKスペシャル見ましたか?
もう見ながら途中で怖くなりました。
人工知能なんか絶対いつか悪用されるし、制御できなくなるって。
(↓この羽生さんの本は人工知能には関係ありません。笑)
名前こそ出していなかったけど、ゲン担ぎのところでは、
羽生さんと先日取り上げた野村監督とは意見が異なっていた。
野村の流儀 野村克也
野村さんはできるだけゲンを担ぐ。
羽生さんはキリがないからゲンを担がない。
でも引用する勝負の格言は同じ。面白いですよね。
第3章
◆将棋は自分自身で対局終了を決めるので、タイミングにはかなり個人差がある。最後の最後までプロさすがプロはいない。なぜなら、終わりの一手詰めまで指すのは相手を信用していないことにもなるし、見苦しいことだと言われている。
◆どのタイミングで投了するかは時期とともに変わっていくが、散り際の美学というのはとても日本的で、桜がこよなく愛されている事とも関連していると思っている。江戸時代に残された棋譜には特に投了図に深いこだわりが見られる。
◆私は、プロになってから公式戦だけで400局以上負けてきた。将棋は勝ち負けの偶発性が非常に少ないので、400局負けたということは、私にはすくなくとも400以上の改善点があることになる。
◆棋士にとって大切な資質の1つに打たれ強さがある。負けたとしても、また立ち上がって前進していかなければならない
◆たくさん棋譜を記憶するには、まず型を覚えることが第一歩
◆それまでは断片的にしか知ることができなかったことを、たくさんの棋譜を見ることによって深く理解することもあった。それは名局、好局というだけではなく、平凡な一局、不出来な一曲も合わせてみることによって浮かび上がってくる。
◆検索は検索で非常に有能なツールであることは間違いないが、それと同時に、自分で責任を持って懸命に考えて選択をする事も大事。
◆大局観では終わりの局面をイメージする。最終的にこうなるのではないかという仮定を作り、そこに論理を合わせていく。
◆情報や知識を集めたとしても、それだけでは大きな意味や価値を持たない、あるいはその価値は日々、下落を続けていると私は感じている
◆情報化社会を上手に生き抜いていく方法は、供給サイドに軸足をこと。自分自身は常に消費を続けているわけだから、自主的に、いや、半ば強制的にでも出力上げていかないといけない
◆直感とは、数多くの選択肢から適当に選んでいるのではなく、自分自身が今までに積み上げてきた蓄積の中から経験則によって選択しているのではないか
◆自分のとった行動、行った選択を、きちんと冷静に検証する
◆直感もひらめきも、あまり過信せず、1つのツールとして上手に使いこなすのが肝要
第4章
◆ツキは多くの人々を魅了し、揺さぶり、引きつける普遍的な要素がある
◆個々の運不運に一喜一憂したとしても、より大きな組織、団体、国家の影響に巻き込まれてしまえばどうしようもないわけで、長いスパンにおいては大きな差はないのかもしれない。その意味からも、あまり極端にツキにこだわる必要はない
◆ツキを得るのはなかなか難しいものだと思うが、失う方法は至って簡単。人道に反することをすれば、容易に状況は悪くなる
◆端から見ればいつもラッキーに見える人でも、実は様々なケースに備えて考えているのではないか。
◆人がゲンを担ぐのは、自分のことよりも、むしろ、ほかの人のことの方が気になるという心理からかもしれない
◆聞いた話では、ジンクスというのは良い結果に対しては使わない言葉なのだそう
第5章
◆普通は8級からスタートするのだが、私はあまりに弱かったので、15級からスタートした。席主が、級を低めに設定して、そこから上がっていくようにすれば自信がつくのではないか、と配慮してくれたのだ。
◆欲にしろ
自我にしろ、真面目に増やすのは簡単でも、真面目に無くすのは難しい。人間というのは、何か自分にとってプラスになることをしていないと、真面目にやっていると思えない。
◆まじめにコツコツと積み重ね、真面目に不必要なものを捨てるという作業繰り返して行く先には、深遠な心理があるのではないか。
◆日本で戦国時代まで行われていた中将棋には、酔象というコマがあり、これが成る太子という駒になって、王将と同じ価値になるというルールもあった。つまり、酔象が太子になると、たとえ王将が倒されても太子があるので戦いを続けられる。
◆基本的に人間とコンピュータは反対方向に行っている。たくさんの手を考えるコンピュータと、極力手を考えない人間。その違いは鮮明だと思う。
◆こういう一手は人間の感覚では差さない、という手をコンピューターは指す。手を見て、これは人間が指したものではないとすぐにわかる。ただしこれは、今の時点ではという条件付きの話である。
◆将来、人間が差す手とコンピューターが差す手が同じものになるのか、違いが存在し続けるのかは、大きなテーマであると思っている。私の予測では、考え方の方向性が全く違う両者だが、最終的に選ぶ一手の決断は、実は同じになるのではないかと思っている。
◆プロが最も嫌う局面はジリ貧と呼ばれる局面だ。これは徐々に悪くなっていくのが明らかな上に、打開策すらもない局面のことである。だから、ジリ貧になる前に思い切った手を指すのだが、それは1つの可能性に賭けたわけで、方向性としては合っている。
◆想定外、読みの範疇でないケースに対しては、見落とした、軽視したという2つの表現がある。見落としたは文字通り、その一手について全く思いつかなかった、気付かなかった、うっかりしていたということだ。軽視したというのは、その一手について可能性はあると思っていたが、大丈夫だと考えて深く読んでいなかった、または感覚だけで判断していたということになる。見落とした場合は仕方がないと思えるが、軽視した場合には反省の対象。
◆ランダムに1000人を選んで、その中で平均年収計測するのと、このサンプル中に1人、ビルゲイツのような大富豪入れるのとでは結果は大きく変わってしまう。
◆将棋の指し手というのは非常に正直。真剣勝負でやっていたら、指し手には、その人の素の部分が如実に現れる。
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