今は貯金アンドREITという結論に行き着いたので、
医療の方に本をシフトして行きたいと思います。
やりかけの本もあるのですが、
私が修論の時に読んでいた本を改めてまとめようかなと思ってます。
ちなみに3月くらいに決意表明した診療報酬の資格の方は、
28年度改定対応版がなかなか出なかったので全然進んでません(苦笑)。
みなさん優生学ってご存知でしょうか。
人の性質は遺伝子で決まり、そして子孫に伝わる。
つまり人間の、人種の性質、才能その他は、生まれながらに決まっている。
物凄くざっくり言うとそんなところです。
まずはその学問がどのように生まれ、どのように使われ、どのように生き残っているかの優生学史のお勉強です。
第1章は米本昌平御大。
はじめに
◆生殖細胞の遺伝子治療に対するもっとも大きな懸念は、生殖細胞を操作する技術が完成されれば、病気の治療にとどまらず、身体的・知的性質の改善にも使われるようになること
◆人の生殖細胞の遺伝子操作は、必ずどこかで、優生学につながるからいけないという懸念と批判にぶつかることになる
◆デンマークでは、ナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、またスウェーデンでも、最近問題となったように、実質強制と言える、優生学的な不妊手術が1930年代以降、50年代に至るまで実施されていた。
◆ワイマール期のドイツと30年代の北欧諸国に共通するのは、福祉国家の形成ということである
第1章
◆優生学史を語るには、どうしても、19世紀後半の、欧米世界における知の構造的変動までを視野に入れる必要がある
◆ダーウィンの「種の起源」の出現は、キリスト教的な自然解釈に大きな打撃を受けた。しかもキリスト教進行と同時に与えられていた安定した世界解釈や、それに立脚した人生への指針、倫理の基盤などを連鎖的に崩壊させていく危険を含んでいた
◆進化論の啓蒙が成功するほど、社会ダーウィニズムも浸透していった。先鋭的な知識人は、たったいま宗教的迷妄を打破してみせた自然科学こそ、合理的で確実な新しい倫理や生活規範の根拠を提示してくれるものと信じた
◆第1次大戦によってこの種の思想が一般社会に向かって大量に流出した
◆1920年代には、多くの国で優生政策が議論され、一部実施に移されるようになった
◆優生学の成立とアメリカへの伝播をおしすすめたのは、次に挙げるようなこの時期の生物の進展が直接的な原因であった
1、ワイズマン学説:染色体の種ごとの安定性と遺伝現象とを結びつける一方、発生分化の現象を、細胞分裂によって原基が不均等に分配されていくのだとする
2、ゴルトンらの研究:遺伝形質の次世代の出現は統計学的な分布法則に従う。ピアソンに引き継がれる
3、メンデル説の再発見
◆人体測定学。ヨーロッパの研究者が自国植民地のさまざまな人種の身体を次々と測定してまわった
◆ナチス親衛隊長官ヒムラーは膨大なユダヤ人の頭蓋を集めさせ、是が非でもその劣等性を確認しようとした
◆ピアソンが1900年1月「科学の視点から見た国家の生命」という演説。戦争を人種間の不可避の淘汰原理とみなし、戦争遂行のための国家的な効率を問題にした。優生学史に大きな衝撃。
◆1904年5月の第1回イギリス社会学会では、優生学者が大きな役割を果たした。
・ゴルトン「優生学とは、ある人種の生得的質の改良に影響するすべてのもの、およびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」
◆1907年優生教育協会が発足。スローターが会長に。メンデル説を採ったために、遺伝は統計学的な分布を示すと考えたゴルトンやピアソンのロンドン大学優生学研究室と対立。
◆1911年ケンブリッジ大学優生協会設立(ケインズ、ラスキなど)
◆1911年チャールズ・ダーウィンの末子レオナルドが優生教育協会の会長に。
◆ピアソンの批判にもかかわらず、優生教育協会が影響力を獲得。アルコール依存症、離婚、梅毒調査や精神病法の成立に重要な働きを及ぼす
第1章の2
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