2016年5月30日月曜日

優生学と人間社会 第1章の3 米本昌平

第1章のラストです。

第1章の1

もっとも筆者が言いたいことは、
優生学=ナチスだけじゃないんだぜっていうことです。
アメリカでも普通に優生学思想による差別、断種は行われていたし、
ナチスはカリフォルニア州を参考にしてその仕組みを作った。

米本先生の「遺伝管理社会」では、
カリフォルニア州断種法→ナチス断種法→国民優生法
という日本の国民優生法制定の経緯が記されております。



いずれこの本もまとめるかなあ。





アメリカの続き
◆優生政策としての1924年の絶対移民制限法。欧州人種の間に優劣が存在することを前提。
◆自然科学的な人間解釈がとりわけ貴ばれ、進化論に立脚して人間改造を目指す優生学プログラムは、宗教的義務に近いものと一部で受け止められる
◆アメリカを建国したアングロ・サクソンが最優秀という価値観
◆T・ルーズベルトは、上流階級の計画出産による「民族の自殺」、出生率の差、黄禍論などを公然と口にした
◆1913年時点で、32州で、白人と黒人の結婚と性交渉が法律で禁止されていた
◆反社会的傾向の家系の研究
ダグデール:ジューク家系の調査。貧困は遺伝性と発表。
ゴダードとカイト:カリカック家系の調査。
先妻である酒場との女性との間にもうけた子孫は多くが精神障害者、性的放埒などの問題を抱えていたが、正しい家柄の後妻との間にもうけた子孫からは社会的有力者が続出したという研究。

◆IQテストがフランスのソルボンヌ大学ビネーによって考案。落ちこぼれの児童を同定するために政府から依頼された。ビネーは子供のレッテル貼りに使われることを警戒したが、アメリカに導入されると、もっとも心配した方向に転がり出した。
◆ゴダード:ビネー・テストを英訳し、アメリカに導入。知能は遺伝的にも決定されていると信じていた。アメリカ移民がまず上陸するエリス等でテストを実施すると、移民の多くが12歳以下相当の「精神遅滞」に該当
◆ターマン:スタンフォード大学教授で、IQテストを拡張し、スタンフォード=ビネー・テストを開発。標準モデルに。
◆ヤーキーズ:新兵にIQテストを実施。新移民ほど悪い成績だったが、現在ではアメリカ文化に馴染んだほど意図が通じやすいテストだったという評価

◆ローリン(第1章の2参照):実際の公立病院や慈善施設の収容者の人種比率と国勢調査の比率を比較。東欧・南欧移民の収容者の比率が過剰という結論を出した。
◆1921年に1910年国勢調査の人口構成比3%以下に移民を抑える移民法が成立。ローリンによるロビー活動によって、ノルディック系やチュートン系が優勢だった1890年国勢調査に変更された。
◆1924年の絶対移民制限法で東欧・南欧からの移民が事実上不可能に(中国ははるか以前に禁止。日本も移民を出さないことで合意)
◆1965年の移民国籍法に変わるまで引きづる


アメリカ優生政策がナチスドイツに与えた影響
ナチス政権は、カリフォルニア州の断種の実績を参考にし、ナチス断種法を成立させた。アメリカの優生学者の多くは、、これを賞賛したが、欧米の研究者はユダヤ人研究者の大量パージを非難した
◆ナチスは、アメリカの断種法や絶対移民制限法を、自らの正しさの具体例として喧伝した

ナチスへの批判
◆マラー:遺伝学者。1932年ニューヨークで開催された国際優生学会議で、優生学者の人種論を明確に批判。人類の進化には、遺伝よりは経済社会体制の方が重要だと主張。
 1935年「夜を越えて~一生物学者の未来観」のなかで、ヒトラーの優生学を批判し、真の優生学は社会主義下でこそ実現できることを示そうとした
◆1930年代末、遺伝学者たち(ホールデン、ハクスレー、ニーダム)は、自らが信じる優生学と、ナチスの人種政策とがいかがに違うかを強調しようとした

戦後
◆ユダヤ人の大虐殺が核心と考えられ、優生政策はニュールンベルグ裁判や非ナチ化の対象にならなかったため、いくつかの国では戦後になって本格的な科学的優生学の時代が到来
◆1960年代のアメリカでは、精神障害者に対する強制断種は当然のように行われており、断種手術を避妊の手段として最大限活用したのはアメリカだった
◆1970年前後を境に、優生学という言葉は否定的な意味を帯び出した。アメリカ優生学会が1972年に社会生物学会へ改名

精神病・精神障害者差別の社会問題化
◆1960年代、アメリカには理工学ブームが到来し、優生学的提案が目白押しになされた
◆レダーバーグが分子生物学の到来を指摘した上で、人間の遺伝的改造という発想の危険性を指摘。
◆1960年代前半に黒人差別撤廃運動や、女性、障害者、同性愛者が運動を開始
◆1960年代末、ベトナム反戦の一環として、科学者の社会的責任論を展開するグループが展開をはじめる
◆1960年代末から1970年代初頭にかけて、若手研究者が優生学への危機感をつのらせ、アメリカ優生学史の実証的な研究が開始される。
◆ナチス優生政策が、「否定的に再発見」される。実証研究が本格化するのは、80年代以降(タブー視されていた)

筆者のまとめ
◆ナチズム=優生社会=巨悪という図式の下で優生学を語ることからいったん離脱すべき

第2章の1









0 件のコメント:

コメントを投稿