2016年1月5日火曜日

医学の歴史その2 小川鼎三

今日から本業も通常営業です。

コツコツ積み重ねていくぞー。


医学の歴史 その2 小川鼎三  第2章 中世の医学
○アヴィセンナはペルシャのアリストテレスとかアラビヤのガレヌスとかのあだ名があるほど、古今東西を通じての医学界の巨像である
○レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖学における師匠は、パドア学派のマルク・アントニオ・デラ・トルレ
○宋時代、哲学の進歩も著しかった。儒教が盛んに研究され性理の学というのができて、人間と宇宙の関係が説かれ、性命と理気の問題が思索の中心になった。
○金の時代はの学説は依然、陰陽五行五運六気のどうどうめぐりで、実証による真の進歩からはほど遠かった
○僧月湖もまた明におもむいて銭塘に住み、『全九集』を著わしてかの地で名医と称せられた。田代三喜は、大陸に渡って月湖に医を学んだのである。

第3章 近世ヨーロッパの医学
○アンブロアス・パレ―は外科をそれまで理髪師の業とされたものが一躍して内科とならぶ地位にまでのぼった。
○リンパ管を最初にみつけたのは北イタリヤのパヴィア大学の解剖学、外科の教授アセリであった。初めは神経科とおもったが、傷つけたときに白い液が流れでたので、事の重大さに気づいたという。血液でない液体をみちびく脈管の存在がこのとき初めてわかった。
○ボルデュー「生命の基礎現象は感覚と能動的な運動であり、身体の各部にそれぞれの固有生命がある。固有生命をおこすものは自然の力すなわち生気であって、生命力は物理学や機械学の範囲に属しない」ととなえた。
○フランスにおきた啓蒙主義の反動として、ドイツには18世紀の末から19世紀の初めにかけてロマン主義がみなぎり、それが医学によくない影響をあたえた。シェリングの自然哲学は、思想としてははりっぱであろうが、真の医学の進歩にはあずからず、むしろ有害である

その3

   

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