前回
第1章
第2講
◆哲学の根源というのは始源を意味するのではない。
◆始源というのは歴史的な意味でいわれ、それまでなされた思惟の労作による蓄積された多量の前提を後継者にもたらすものである
◆根源とはいかなる時を問わず、「哲学すること」への衝動が生まれる源泉をいう
◆三つの根源的動機
1 驚異
・驚異の念をいだくことから認識が始まる
2 懐疑
・存在者を認識することにおいて、私の驚きと驚異の念を満足さすことができたとしても、まもなく疑いが生じてくる
・懐疑は方法的懐疑として、あらゆる認識の批判的吟味の源泉となる
3 喪失
・世界内の対象的認識に専念し、確実性への道としての懐疑の遂行において、私は自分を忘れて、認識の行為に満足している
◆状況の一時的な現象が変化しても、その本質においては変化しないところの状況というものが存在する。このような私達の現存在の状況を限界状況と呼ぶ
◆私達が変化さすこともできない状況が存在するということで、これらの限界状況は驚きや懐疑についで、哲学のいっそう深い根源である
◆私達が限界状況を本当に把握するかぎり、絶望と回生によってそれに対処するかのいずれかである。後者の場合私達は、自分の存在意識を変革することによって自分自身になる。
◆人間が自然を支配するのは、それによって自然を自由に利用するため
◆しかし自然を征服する過程のうちには一般的にいって挫折がたえず存している
◆支配せられた自然の親しみとはすべて、全般的な不信頼性の枠内におけるある一つの例外
◆そこで人間は共同体を形成し、相互扶助によって安全を得ようとするが、ここにも限界がある。
◆お互いのために本当に踏みとどまる人びとは、常に限られた範囲の人びと
◆私たちの前に立ち現れるものはすべて人間が作ったもの
◆限界状況ー死・偶然・罪・世界が頼りにならないことーは私に挫折を示す
◆思惟の独立性としての自己固有の自由に変えれという、ストア学徒は、人間の無力を徹底的に洞見しなかったということによって、誤りを犯した
◆人間が自己の挫折をどのように経験するかということが、その人間がいかなるものとなるかということを立証する
◆宗教の特徴のとする点は、救済の真理性と現実性に対する客観的な保証にある
◆哲学的することの根源は驚異・懐疑・喪失の意識に存している
◆先人の困惑はいずれも、表象や言語の歴史的衣服をそれぞれ身につけたところの、それ自身の真理をもっている
◆三つの動機は、人間と人間との交わりという一つの制約のもとにおかれる
◆今日までの歴史においては、人間と人間との自明的な結合が存在していた
◆今日では、人びとはお互いに無関心であり、忠実さも共同性ももはやけっして疑問なきものでもなければ、信頼できるものでもない
◆私は他者とともにのみ存在する。ただ一人だけでは無
◆単に悟性と悟性、精神と精神との交わりではなく、実存と実存との交わりは、非人格的な内容や主張を単に一個の真理性と媒体としてもつにすぎない
◆闘争は愛の闘争であって、このような闘争にあっては、各人は他人に対してあらゆる武器を引き渡すのであります。本来の存在の確認は交わりにおいてのみ存在する
◆決定的な点においては、あらゆるものは相互に要求されあい、根底において問われる。このような交わりにおいて、はじめてあらゆる他の真理が実現される
◆哲学的な根本的態度というものは、交わりが失われていることによる困惑のうちに、本当の交わりへの衝動のうちに、自己存在と自己存在とを根底において結合するところの愛の闘争の可能性のうちに、根ざしている
◆あらゆる哲学は伝達への衝動をもち、自己を語り、傾聴されることを欲するということ、すなわち哲学の本質は伝達可能性そのものであり、またこの伝達可能性は真理存在から離すことのできないものであるということにおいて明らかになっている
◆交わりにおいてはじめて哲学の目的は達成される。そしてこのような目的のうちに、あらゆる目的の意義が基礎づけられる。この哲学の目的とは、存在の覚知・愛の開明・完全な安静の獲得
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