その1
【ルール3】
◆リスクを自分で負う社会とは、いわゆる「自己責任」を基調とした社会
◆自己責任:人間が陥る不幸や抱え込む苦労には、すべて自分の中に原因が存在するのであり、その種の不幸や苦労について自分で解決すること、解決できなければ自分ひとりで苦しむこと
◆「再チャレンジ」が可能であれば、失敗や不運を自己責任といわれても、あきらめがつく
◆ヨーロッパや日本などの多くの国では、リスクを社会全体で引き受けるという発想で社会が作られている。そもそも身分制度が存在していたヨーロッパではアメリカのような不運や失敗を取り戻す機会は存在しなかった
◆「情けは人のためならず」最近はこの言葉は、人に親切をかけることはその人のためにならないという自己責任論として誤解されることもある。
◆他人に親切にすれば、それは回りに回って自分を助けることになるという意味であり、リスクの社会化の必要性を教える庶民の知恵である
◆零細な建設会社もつぶれずに生き延び、田舎で雇用を作り出すという点では、談合はリスクの社会化の一形態だった
◆規制緩和とは、社会経済活動を制約する法律の仕組みを撤廃すること
◆労働の世界に規制緩和が及べば、従来の労働者保護のルールが廃止され、雇う側がより安く労働者を使えるような環境が作られる
◆腐敗や特権を正すという改革を進め、自民党や官僚をぶっ壊し、壊しっぱなしにしていれば、リスクの社会化の仕組み自体も壊れてしまう。
【ルール4】
◆落語には情けは人のためならずという教えを含んだ話がたくさんある
◆「孝行糖」⇒障害者福祉のネットワークが地域に存在した
◆最近の日本では、若者に単純な仕事をあてがって、これを使い捨てにし、そのような仕事の仕方を自己責任だ、自由な選択の結果だとして正当化する風潮がある。
◆一人前になるための修行の機会を与えないでおいて、若者には単純労働の能力しかないというのは、実に不公平な議論である
◆経済戦略会議の答申は、経済的な面から自己責任論が正当化されている。補助金や護送船団型規制で守られているのはエセ弱者であり、これらの人々が持つ既得権が声域となることで、社会には実質的な不平等が広がるというわけである
◆経済財政諮問会議などの議論は、部分的に正しいことから出発して、それを過度に一般化し、誰も反対できない正論を形成するというインチキを行っている
◆人間は自分で自分の生活を支えるべく、努力すべきだという議論も、それ自体は正しい議論である。しかし、だからといって生活を支える上で社会からの支援を一切受けないという態度を取らなければならない、ということにはならない。
◆努力したものが報われる社会は確かに、一般論としては望ましいことであろうが、今の日本で強者がこの台詞を言うとき、暗に努力しない者が不当に得をしているという主張が含意されている
◆全ての人間が同じ競技場に立つことなどありえない。競争の舞台には、国体から学区の運動会までいろいろなレベルがある。
◆庶民の考える努力とは、学区の運動会で全力疾走するように、たとえ別次元であっても、自分の力の限界に挑戦し、一生懸命頑張るという意味である。
◆集団はオーバーアチーブする人間が、アンダーアチーブする人間を支援し扶助することで成立している
◆オーバーアチーブしている人間に資源を傾斜配分すべき、それこそがフェアネスだということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を勘定に入れ忘れているからできる
◆新自由主義のメッカ、アメリカ北東部は、地震や台風等の自然災害とは無縁の地域である。
◆巨大災害のリスクが顕在化した時、人間の能力の差などほとんど無意味になる
◆すべての人間が最大の儲けを求めて合理的に行動するなどということはありえない
◆すべてを自由に選択できると言う考えは虚妄。従って自己責任という考え方にも限界はある
続き
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