面白い。
マルクス面白い。
家族への思い。制度への怒り。
最後の方で、男女雇用均等の欠陥についても語っています。
それもまた、なるほど俯瞰するというこういう見方もできるのかという感じで面白い。
制度はブルジョアが作っている。
現実に目を向けましょう。
ーーー
マルクス主義を毛嫌いする人の先入観には、共産主義には自由がない、とか、国家の権力ばかりが巨大化して危険だ、というイメージがあるやろう。けれども、マルクスがいったことは、それとはまったく逆のことやった。
どんな善人でも、聖人君子でも、ゼニがなければ生きていけないのや。これは、昔からそうだったわけではない。農作物を生産する農耕社会では、ゼニがなくても、食うには困らなかった。せいぜい塩と醤油くらいを物々交換で手に入れれば、米がなくても麦やイモを食って生きのびられた。そんな社会では、ゼニ以外に大切にされているものもたくさんあった。ところが、工業化=資本主義が進むにつれて、そういった大切なものがどんどん破壊され、ゼニだけに価値が集中してきたのや。
本当は、こういう仕組みになっている。「あんたの取りぶんは、一日八時間働くうちの一時間三○分ぶんだけや。それだけで一万円の利益が上がる。残りの六時間三○分が生み出す利益は、会社が全部もらうで」こういうことなんやで。生活に必要な「必要労働」以外の時間は、労働者本人のための労働ではない。マルクスは、この労働を「剰余労働」と名づけた。「剰余」というと、たくさん労働して、それなりに見返りがあるような気がするが、これが労働者の錯覚なのや。資本家が残さず搾り取っていくものや。
「資本」というものが生まれることで、土地を持たないのに利益を上げる階級が現れた。それがブルジョア階級=ブルジョアジーというもんや。それまでの領主は、貴族階級=アリストクラシーやったから、ブルジョアジーはそれより下の階級だ。
じつに面白いことが書かれている。怠惰な労働者は、よけい時間がかかるぶん、能力が高い労働者の労働より価値が高くなってしまうだろうか、という一節や。
資本家に搾取され、さらに家主と小売り商人に有り金をさらわれている労働者が、そんな金融の利子も返せなくなって破滅するという収奪の仕組みは、一九世紀から現在に至るまで変わっていないのや。
ところが、高度経済成長の時期に、意図的に操作されたマスコミなどの情報で、「食うに困っていなければ中流」という幻想が垂れ流された。
マルクスの唯物論は、「物質的生活」、つまりその人がどんな仕事を、どういうふうにして生きているか、ということが人間のものの考え方や社会的なあり方を決めている、というものや。自分がなにを信じていようと、なにを期待していようと、その人が労働者で、資本家から賃金を受け取っていれば、そういう人間として存在するという。
マルクスの思想が持つ最大の魅力は、「強きをくじき、弱きを救う」という正義性だと思う。
マルクスは、『資本論』の中でも、子どもの過剰な労働について、怒りをあらわにしている。
最低の生活の中で、強く結ばれた家族の絆、これを破壊する資本主義、三人の子どもを奪った資本主義に対するマルクスの怒りというものは、こうした家族・子どもたちとの生活に裏づけられていたのやろうな。
資本家は、もちろん資本を集めて、製品開発して、工場を建設して、設備投資して、人材募集して……といろいろ投資してるわ。それなら、投資した元手を稼いだら、あとは剰余価値のぶんも労働者にくれるのか、というとそうはしない。せいぜい、スズメの涙の昇給やぺラペラのボーナスでごまかす程度だ。
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