2016年9月18日日曜日

文明と病気 上 シゲリスト 6

前回
その5

シゲリストにも優生学的思想はあったのでしょうか。
もっとシゲリストの本を読みたい。

□梅毒
◆最初感染の源が性交にあることがはっきりと理解されなかった。他の伝染病と同じくこの病気は災難と受け取られていた。 
◆この病気には皮膚症状があったからそれは主に外科医の領分で、彼らはそれを水銀で治療した。彼らは水銀軟膏を大量に用い、効目はあったもののこの治療そのものは拷問だった。
◆人文主義者ウルリヒ・フォン・フッテンはこの病気ばかりではなく水銀療法にひどく悩まされ、アメリカから輸入されていた新薬グアヤクの木を極力称賛した。主な輸入業者であるアウグスブルクのフッガー家は、アメリカの病気は海を越えてやって来た薬によってもっともよく治ることは明らかと思われたから、梅毒のアメリカ起源説を熱心に主張した。

◆梅毒に対する上流階級の態度はいわゆる優雅な時代において断然不真面目なものとなった。梅毒の症状明らかに激しくなく、水銀を丸薬で与えるとその治療はうまくいった。1世紀にわたる性的放恣によって梅毒は避けられない小さな事故と受け取られるようになった。
◆中産階級の勃興と共に事情が根本的に変わった。18世紀の間に梅毒に対し新しい態度が生まれ、19世紀になって有力となった。中産階級は最初から性的放恣を非難し、家族の申請を強調した。
◆性病にはふつう婚姻外の性交によってかかる。したがって犠牲者は放恣な人間で掟を破ったものとみなされた。そのものは恥をかき、家族ははなはだしい屈辱を感じた。梅毒と淋病はなみの病気ではなかった。

◆宗教界には性病が罪に対する適当な罰であるという考えが広がっていた。コンドームの使用は、すなわち罪を犯した体の部分において罪人を罰するという神の意思を無視するという理由から、1826年教皇レオ12世はそれを禁止した。
◆我々が充分よく知っているとおり、清教徒のならわしが強い中産階級の国では今日においてさえまだこの態度を完全に克服していない。その結果こういう国では、新しいより健康的な態度が現れている他の国よりはるかに性病率が高い。
◆体温によりあるいはこの病気の科学的な何かの因子によるのか分からないが、また性衝動が刺激される。
 ⇒初めて聞いたのでピックアップしましたが、科学的にそういうことがあるのかはわかりません。

◆結核のサナトリウム療法は患者の社会学にひとつの新しい特色をもたらした。サナトリウムの中では病人はいくらか非現実的な雰囲気の中で生活している。患者は自分の日常の環境から立ち退かされ、普通は美しい風景、心理あるいは山の中に記している全く新しい環境に移される。
◆ここでは患者が労働することを期待されないし、許されもせず社会に対する義務もなくて世話を受け、看病され、栄養のあるものを食べ、普段よりはるかに高い水準で生活している。換言すればその地位には非常に高い病人の特権が認められている。
◆治療を必要とする人間であれば、患者に関心を持ち患者が回復することを望む社会の客として、患者はサナトリウムの中で生活する。
◆患者のただひとつの仕事は即ち回復するということである。患者はサナトリウムにおいける患者の存在目標であり、目的である。
◆結核は非常に社会的な病気であり、社会的な処置と組み合わさなければ、最良の医療は無駄になってしまう。ただ貧民街に送り返すだけであれば患者を治しても意味がない。病気の治療こそまさにサナトリウム治療と同じくらい重要であって、それは啓蒙とか早期の病例発見とともに始まり社会復帰に終わる一連の社会的処置の一環に過ぎない。
◆しかし感染とかって中毒の結果による以外の精神病に関しては、我々はなお無力である。精神病しばしばある遺伝的な基礎の上に進展することを示す証拠があり、このような場合精神病を治すのにわれわれは僅かのことしかできない。

□精神病
◆過去においは絶望的で手に負えなかったような多くの神経症の者をその環境に適応させることができる。しかし感染とか中毒の結果による以外の精神病に関しては、我々はなお無力である。精神病がしばしばある遺伝的な基礎の上に進展することを示す証拠があり、このような場合精神病を直すのに我々はわずかのことしかできないのである。
◆もともと医学は身体の病気に関わりをもったのであって、正常に見えるが不合理に行動する人間はもちろん医師の注意をひかなかった。これに反して魂の医師である祭司にそのもの押し付けるのがもっと理屈に合っているようだった。

◆宗教が支配していた時代では、狂気に対して宗教的な接近がもちろん強かった。他の人々とは違った話しぶりで行動するものは悪霊を、悪魔に憑かれたもののように見えた。その治療は厄払いか、その他のやり方で悪魔を追い出すことであった。
◆悪魔に憑かれたことそれ自体を不幸であって、罪ではなかった。キリストは悪魔に憑かれた者を罰しないで、悪魔追い払うことによって治療した。しかし 呪術が信ぜられるようになってから、魔女は悪魔に誘惑されるか悪魔と契約を結んだものと思われた
◆数こそ少なくなったが 18世紀の終わりまでは魔女は火あぶりにされ続けた。それ自体迫害狂であるこの態度を克服する助けとなったのは、合理主義の興隆である

◆人道主義的な運動の影響で社会は漸次精神病の病人に対する自分の責任に気づいた。
◆フィリップ・ピネルがフランス革命の間にパリのビセートル癩病院で患者を開放し、鎖が病人から劇的に断たれた。イギリスではクエーカー教徒は他の多くのことにおけるとして同じく率先してこの人道的な努力をした。
◆19世紀においてはつぎつぎと各国で鎖が取り去られたが、しばしば鎖を今日人口側副で取り代えたに過ぎなかった

◆今日各国は、その多くのものは遺伝的な病気や病的な状態により廃疾であり、今日の社会ではなんら仕事をせず、時々そのことさえも意識せず生活している人間の大きい重荷を負っている。
◆民族に悪影響をおよぼす者の生殖をやめさせる目的から、ドイツは最近10年間に広汎な断種計画に着手した。たとえ現在のナチ体制がそれを徹底的に反動的な、非科学的な政治的人種的イデオロギーに役立たせたとはいえ、それは注意深く見守るに値する一つの社会生物学的実験である。



次回
その7








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