2016年6月11日土曜日

ケアの本質 ミルトン・メイヤロフ 第2章ー2

つづきです。
第2章ー1

◆”あの人は私を信頼している”という認識は、ケアされている人が、そのような信頼が正しいものだと信じ、自分自身が成長していくのだということを確信するのに、大きな力を発揮する
◆信頼の欠如が露呈されると、私たちは相手よりも優位に立とうとしたり、ある鋳型に無理やりに当てはめようとしたり、成果について保証を要求したり、さらには”ケア”しすぎる結果となってしまう
◆未知のものを恐れたり避けたりする人や、いかなる結果になるかをどんな場合でも確信しないではいられない人は、相手にまかせ、その相手が自分のやり方で成長していくのにまかせることができない人なのである。
◆相手を信頼する一方、、私はまた、ケアにたずさわる自分自身の能力も信頼しなければならない
◆私の行動が正しいか否かに自信がなく、それにいつも気をとられていると、自身への信頼の欠如に陥り、さらに自分に注意を向けすぎると、相手の要求がなお見えなくなってしまう

◆ケアは自分の相手の成長に対応していくものなので、ケアは相手について継続的に学ぶことを含んでいる
◆問題はいつも、直面するその新しい状況に対して何が適切かということであり、原則を単に機械的に応用して行けばよいというような過去の反復ではないからである
◆ケアそのものが、より広い意味の謙遜と言う内容を持っている。それは、相手をただ私自身の欲求を満足させる存在として見たり、自分にとっては単に克服すべき障害と考えたり、自分の気のすむように形づくっていけばよい粘土であると思って扱ったりするような態度をあらためさせる。
◆ケアを通して、自分の能力のみならず、自分の限界が本当に理解できるようになる。私に限界があっても憤ったり、美化すべきではなくて、私の能力をうまく活用することによって誇りを持つことができるのである。

◆希望は、現在の豊かさの表現であり、可能性の期待でいかにも生き生きした現在そのものなのである


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