2016年6月9日木曜日

ケアの本質 ミルトン・メイヤロフ 第2章ー1

本文とは関係ないんですけど、
c型肝炎の薬が、また米国で承認申請(優先措置を取られている)されているそうです。

c型肝炎の 薬は一気に進歩しています。
薬剤師集団flzzさんのブログ(分かりやすくよくまとまっています)

今までは1ー6ある遺伝子型の1つや4つとかで使われていたのですが、
次出てくる薬はこの全部のタイプに効くという優れもの。
ガチでc型なくなるかもしれません(腎機能障害がある方には使えなかったりするので、そういう問題はありますが)。



では本編です。
前回 第1章


第2章
◆ケアするためには、私はその人の要求を理解しなければならないし、それに適切に応答できなければならないし、しかもまた、好意があるだけではこのことが可能でないのは明らかである
◆その人の要求にどのようにこたえるか、私自身の力と限界を知らねばならない
◆一般的な知識と個別的な知識は、お互いに補い合うものである。
◆あることを直接的知ることとは、単にそれを経験したということだけを意味するのではなく、それと直面し邂逅することであり、それ自身の権利において存在するものとして、それを理解することである。ケアにおいては、私は他人を直接的に知る。
◆ケアしていく中でいかに多くのことを知り得るかを、私たちが認識しきれないのは、私たちが知識というものを、言葉に表しうるものに勝手に限定する性癖が、ときおり頭をもちあげるからである

◆私が一人の人間をケアするにあたって、何もしないことがたびたびある。私がこの非行動性の状態にあるときこそ、過程やそれが動いていく結果を見、かつ考え、そこから適切に自分の行動を変える準備のときである
◆狭い枠組とより広い枠組みとの間を往ったり来たりする行動リズムはケアにおいても重要である

◆忍耐(Patience)はケアには重要な要素である。忍耐のおかげで、私は相手にとってよいときに、相手にそった方法で、相手を成長させることができる
◆忍耐できない人は、時間を与えることができないばかりではなく、相手からしばしば時間を奪ってしまう事態になる
◆忍耐を単に時間的側面からのみ理解するのは誤っている。というのは、私たちは相手にほかの余地も与えているからである。
◆ケアする人は忍耐強い。なぜなら、相手の成長信じているからである。しかし相手に忍耐を示すと同時に、自分自身に対しても忍耐せねばならない。
◆私はケアする機会を自分自身に対してもつくってやらねばならない。

◆他者をケアする中で、あるがままの相手を見つめなければならないのであって、私がそうであって欲しいとか、そうあらねばならないと感じる気持ちで相手を見つめることではない
◆正直であることがケアに全人的な統一を与える
◆もしも他人の要求を見てとり、それにこたえることよりも、自分がどのように見られているかに気をつかっているなら、私は相手のために十分な存在であることはできない


第2章ー2



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