2016年4月5日火曜日

財務省支配の裏側 中野雅至 1

何かダラーッとした文章で、
どっち付かずで擁護したいんか批判したいんか。
まぁでもこんな感じよね。現実ってのは。

よく分かったことは経理と人事がどこの世界でも大事で、国家規模なだけなんだなと。




○同じ財務官僚でも、経済職で入った人と法律職で入った人では経済に関する知識やスタンスが微妙に違う
○不良債権の処理で銀行がどれだけの負担をすべきかか議論となる中住専に多額の資金を貸し付けていた農協系金融機関の負担の少なさが問題となったが、大蔵省銀行局長と農水省経済局長が負担を軽くするような覚書を交わしていたことが発覚した。
○戦後主流だったのは官僚優位論である。東京大学の辻清昭教授が代表的学者。
○プリンシパル・エージェント理論
  プリンシパルとは主人、エージェントは召使だ。仕事に置き換えると、働きたくない上司は嫌な仕事を部下に押し付ける。上司は仕事をサボれると喜ぶが、やがて部下は仕事にどんどん詳しくなっていく一方、上司は仕事が分からなくなり、部下にコントロールされるようになる。ここから、重要な仕事やモニタリングできないような仕事はエージェントに任せてはいけない、というのが教訓。
○官僚が苦手とする国会議員や大臣は、官僚出身者であることも案外多い。官僚のやり方思考嫌がることを全てわかっているから。

第二章
○財務官僚は情報量、質を操作することで、目的を実現しようとする
○情報操作とは、大臣に必要な情報を提示しなかったり、逆に、仕事への意欲を削ぐほどの大量の情報を提供したり、情報源を基盤に大臣を揺さぶろうとする
○霞ヶ関文学では、やるといったときには「それだけをやる」ということで、反対解釈でそれ以外はやらないという意味になる
○1980年代までは、政治家がテレビや新聞で公然と官僚批判することはなかった。
○1990年代後半以降、ワイドショー政治と言われるように、テレビを通じて政治が身近になり政治家が頻繁にテレビ出演番組に出演するようになったこと、あるいは無党派層が増えて世論に訴えかけることが何よりも重要になってきた
○政治家はテレビで堂々と官僚批判できるのに対して、官僚がテレビで表立って反論することなど不可能だ。
官僚がいない場で、政治家や評論家が官僚の悪口を言い続ける欠席裁判もののテレビ番組がよくあるが、官僚が政治家に反論している番組などまず見ない。
○官僚がテレビ番組に出演しないのは、
 1.テレビで与党政治家に逆らえば人事で報復される恐れがある
 2.中立性ノイズなども服務規定の観点から問題される可能性がある
 3.官僚特有のメンタリティーとして目立ちたくない
○小沢は気に食わない記事が新聞に載ると、たとえ事実関係が間違っていなくても抗議する。取り巻きを引き連れて自ら乗り込み、社長や役員、幹部との面会を求めることもあった。
○これでは面倒臭くなり、批判する相手の性質がマスコミ報道に大きな影響及ぼしていることがわかる
○たとえ官僚が記者クラブや新聞紙面の見出しをうまくコントロールできたとしても、捜査情報などを圧倒的に支配している警察、検察を除いては、その他の官庁が巧みに情報操作できるとは思えない。
○民主党政権は弱体化するにしたがって、政権を再び霞が関に丸投げするようになる。
○民主党は菅財務相が持つ様々な情報網依存するようになるとともに、財務省も本来は政治家行うべき調整にまで介入するようになる



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