その3
第3章
◆カブールに対するタリバンの10か月間攻勢は、タリバン側の死傷者増大で失敗し、内部の動揺が拡がっていた。長い冬の間、穏健派はカブール政権との交渉の必要性を公然と主張した。強硬派は、全土制服の戦いを続けるよう望んでいた。パシュトゥンの内部対立は拡がっていた。
◆会議参加者の相違を乗り越えるため、ムラー・オマルを取り巻くカンダハル・グループは、オマルを「アミール・ウル・モンイーン」すなわち「信仰者たちの指導者」として指名した。これは、かれを異議なき聖戦の指導者、そしてアフガニスタンの首長とするイスラム的称号だった
◆バイアトという忠誠の誓いは、預言者ムハンマドの死後、カリフ(後継者)オマルが、アラビアのムスリム社会の指導者として確認されたときと同じ手続きだった。預言者のマントを着たことで、大きな政治的成功を収め、ムラー・オマルはすべてのアフガン人だけでなく、すべてのムスリムを指導する権利を手中にしたのだった。
◆オマルにとって、この称号はどうしても必要な正統性と、他のムジャヒディン指導者たちがパシュトゥン人から得られなかった新たな神秘性をかれに与えるものだった。それは、日常的な政治から彼をさらに引き離し、外国の外交官と合わない口実を与え、タリバンの指導部の権限拡大や反対派と話し合うことなどについて、より硬直した姿勢をとることを許すものだった。
◆ラバニ大統領は、ヘクマティアル派、ハザラ人勢力を追いだし、タリバンの攻勢を撃退した軍事的成功で、いまこそ支持を拡大して、強力な政権基盤を固めるときだと思い込んだ。ラバニ派他の軍閥たちと、新政府をつくってかれらをそれに加えるという人参をぶら下げながら、話し合いを始めた
◆タリバンは、軍閥たちとは決して一緒に行動しようとはしなかった
◆モスクワは、アフガニスタンから油が注がれているタジキスタンでのネオ共産党政権とイスラム反乱勢力の四年間にわたる内戦の終結を望んでいた。インドは単にパキスタンがタリバンを支持をしているというだけの理由で、カブール政権を支持していた
◆イランはまた、マシャドの近くに、イスマイル・ハン前ヘラート州知事が率いる約5000人の部隊のための訓練基地五か所を作った。カブール政権へのイランの支援は注目すべきことだった。なぜならテヘランは、カブールで前年、シーア派のハザラ人多数がマスードの部隊に虐殺されたことへの怒りを抑えなねばならなかったからだ
◆クリントン政権は明らかにタリバン寄りだった。タリバンはワシントンの反イラン政策に沿っており、カスピ海からイランを通らずに南へ向かうどのパイプライン計画を成功させるためにも、重要な勢力だったからだ
◆96年6月、ヘクマティアルはこの15年間で初めてカブールに入り、ラバニ政権が提供した首相のポストに就任、かれの党は9つの閣僚ポストを引き受けた。同日、それへの報復として、タリバンはカブールへの大規模なロケット攻撃を行い、61人が死亡、100人以上が負傷した
◆ラバニとこれら軍閥たちの合意で、かれが提案した「全アフガン人対話」が始まった。それは重要な成功で、ラバニが同盟を固める前に行動を起こさねばならないと気づいたタリバンを、狂暴にするものであった
◆他の軍閥たちと取引を拒否するタリバンの頑固さに、パキスタンは不満を募らせていたが、タリバンが冬になる前にカブールを占領するため、新たな大攻勢への支援を要請したことに、結局、納得したようにみえた
◆タリバンは96年8月、ジャララバードに奇襲攻撃を開始した。
◆マスードは、全方向から攻撃されれば首都防衛が不可能であることを知っており、戦うことなく首都を放棄することを決断した。かれは戦って多くの血を流し、カブール市民の支持を失うことを望まなかった。タリバンの完全勝利だった。
◆ナジブラの処刑は、カブールでのタリバンの蛮行を象徴する、最初の出来事だった。それは市民たちを恐怖に陥れるための前もって計画された殺人だった
◆ナジブラの身体を傷つけ辱めたことは、いかなるイスラムの命令からも逸脱しており、公正な裁判もなく、死体を見世物にしたことにカブール市民の多くが強い反感を抱いた
◆マスードは最も輝いた軍司令官の一人で、対ソ聖戦の中から、そのカリスマ的人格が出現した。生地がカブール北方のパンシジール渓谷であることから「パンジシールの獅子」と称えられた
◆かれ自身の大きな問題はタジク人であることだった。1929年の短期間に終わった決起のとき以外、タジク人がカブールを支配したことはなく、パシュトゥン人は信用していなかった
◆10月10日、カブールを追われたラバニ大統領、マスード、ドスタムそしてハザラ人の指導者カリム・ハリリがサラン街道沿いのヒン・ジャンで会談し、タリバンに対抗するため「祖国防衛最高評議会」を結成した
◆カブール陥落とそれに続く激しい戦闘は、この地域全体に大きな不安を引き起こした。イラン、ロシア、中央アジアの四か国は、タリバンに北進しないように警告、反タリバン同盟の軍備再強化を支援すると公に宣言した。一方、パキスタンとサウジアラビアはカブールに特使を送り、どのような支援がタリバンの役に立つのかを検討させた
◆多くの人たちが不可能だと予想していた、学生運動による首都占領がまさに実現した。人的損失が巨大だったにもかかわらず、タリバンの威信はかつてなく高まった
こちらも
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ モフセン・マフマルバフ
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