第3章
「自己中心的な人は、自分を正直に見つめることを避けている」
これはキラーフレーズですね。
第4章
◆自分以外の人格をケアするには、私はその人とその人の世界を、まるで自分がその人になったように理解できなければならない
◆相手の目に映るようにその人の世界を見るといっても、その人の世界に対するその人の反応と同じ反応を私も持つ、ということではない
◆”私とともにいる”ことは、ケアのもつリズムのうちの一つの相であり、その当の相手とぴったりと、ともにいるということ
◆彼の成長が彼をケアする人の中に、賞賛、驚き、心からの喜びをひき起こすのに気づくことほど、彼に取って励ましとなることはそう多くない
◆心からの喜びとしての賞讃は、おだてと混同されてはならない。賞讃によって、私はケアされる人に近づきうるし、そのとき私は、相手のありのままを見るのである
◆相手が私のケアを通じて成長していくのならば、その人は私を信頼しなければならない。私を信頼できてはじめて、その人は私に対して率直に自分自身をさらけ出すことができ、私も相手をよく知ることができるからである
◆私をケアする人を私が信頼するかどうかは、その大部分が、彼が私にとって誠実であると考えることができるかどうか、また、彼にケアされている私の現実の経験がどのようであるかにかかっている
◆私が成人をケアする際には、私は彼に変わって決断することをできるだけ避ける。もし私が彼に代わって彼の決断をすれば、私は彼をないがしろにしているのであり、彼を子供のように扱っていることになる
◆ケアすることのほとんどすべての特性ー専心、信頼、忍耐、謙遜、正直、そして過程の第一義性は、そのまま自分自身をケアすることにも当てはまる。
◆私は自分自身から切り離され、別個の存在となったものとしてではなく、私が自分自身と一体となっているものと感じなくてはならない
◆自己中心的な人格は、根本的にその人自身には関心を持っていない。彼は自分を正直に見つめることを避けている。彼が他ならぬ自分自身を実現したいという固有の欲求に対して、本質的に無関心だからである。
◆他者をケアするということは、自己をケアするということでもあるが何か他の物事をケアすることと自己をケアすることとの関連性は、さほど密接なものではないように思える
つづき
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