さらば財務省
高橋洋一
2008年
第5章
・2007年度の特別会計の予算は約360兆円。この数字は、単純合計したもので、各会計間資金の出入りなどの重複分をのぞく実質規模では175兆円になる。対して一般会計の予算規模は83兆円。これをとって、一般会計をはるかに上回る予算が特別会計に投入されているのは、おかしいではないかというマスコミの批判が多々見られるが、実はこの額の大きさには大した意味がない。 例えば、このうち79兆円は国債償還や国際利払い費に当てられている。つまり、国債の償還資金や国債利払いが、国債整理基金特別会計を右から左に素通りしていくだけで、額が大きくなるのも当然だ。
・しばしば「特会には多額の積立・準備金があるから資産が余っている」との乱暴な議論があるが、重要なのは負債を超える資産があるか否かである。
・本来、官僚がリスクを取って運用してはいけない。しかも、それで生じた剰余金を返さず、自分たちで使徒を差配するのは、どう考えても道理が通らないし、許されるものではない。株主たる国民に剰余金を還元し、国民が使い道を決めるべきだ。
・貿易保険、印刷、造幣は従来特別会計だったが、独法に組織替えしたときに、政府資産としていたものを、独法に振り替えて持たせた。郵政も然り。郵政公社は特殊法人ではあるが、切り替えたときには、政府の試算をごっそり持っていった。ただ、郵政公社は将来、完全民営化された後に上場すれば、出資証券の売却により、資産の回収が可能である。しかし、民営化しない独法から政府が資産を回収する手立てがないことが問題だ。
・本来は、独法に切り替える際、便利さについてはもう少し慎重に精査し、資産の回収手続きを盛り込んだ規定を作成しておくべきだった。それを十分にやらなかったのは、国の怠慢といわれても仕方がない。
・すでに財務赤字が財政赤字が騒がれていた2002年4月、アメリカの国債格付け会社によって日本国債の格付けが引き下げられた。慌てた財務省は、日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債をほとんど国内でしょうかされている。また世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備高も世界最高であるとの意見書を格付け会社に送りつけた。つまり純債務でみれば日本は財政危機などではないと財務省が主張したのだ。日銀と同様、国内向けのアナウンスと海外向けのアナウンスはまるで違うのである。
・経済学のテクニカルな観点から言っても、マクロ計量モデルの長期計算はできないというのがエコノミストの常識だ。長期にわたると、その間に消費行動や投資行動が変わるので、モデル自体に必ず構造変化がある。
・成長率より金利が高くなると、国債残高の利払いも大きくなるので、名目成長率が伸びていても、借金は増えてしまう。逆に成長はしているけど金利が低いという状態になれば、財政再建は加速度的に進む。それを明確に示す式がある
・(公債残高÷GDP)の改善=(基礎的財政収支黒字÷ GDP)+(名目成長率-金利)×(公債残高÷ GDP)
・中央銀行の独立性といった場合、目標の独立性と手段の独立性の2つの意味が考えられる。世界の標準的な考え方では、中央銀行に金利を動かす手段の独立性はあっても、物価の上昇率をどの程度に設定するかといった目標の独立性は認められていない。目標はあくまでも政府、または政府と中央銀行が決める。
・経済成長が税収につながるまでには、しばしの時を要する。その間に、金利は先行して上昇する。したがって一時的に苦しい状況に追い込まれることはあり得る。しかし、たとえ一時そうなったとしても、やがて金利の上昇は頭打ちになり、税収の自然増がじわじわと始まる。経済成長こそが、財政再建への近道であるという事実は疑いようもない。
・日本は確かに公務員や特殊法人の人員が先進国では少ないが、政府資産の規模でみれば、日本は明らかに大きな政府だ。
・少ない官僚が大きな金融資産を抱えているということは、官僚一人当たりの権限が他の先進国より何倍も大きいのだと言えるのかもしれない。小泉政権の構造改革路線では、こうした官の大きなプレゼンスをなるべく小さくし、「民でできることは民で」を基本方針にした。
第6章
・公務員制度改革に取り組んで、改めて痛感したのは、自民党内の党人派と官僚派の文化の違いだった。霞が関の役人の立場にしか立てない過去官僚は「財政タカ派」「上げ潮派」の色分けでいえば、ほぼ全員が財政タカ派。公務員制度改革ともなると、与野党問わず、「反対」と声を揃える。
第7章
・年金システムの最大の問題は、支払った人に年金を給付する時期まで全く通知しない点。公的な制度でも、通常、毎年、もらえる金額の通知が届く。だが、公的年金などは例外的に通知がない。
・アメリカでは、年金の通知の件もそうだが、政府は間違えるという前提に立って、三権分立を考え出し、政府の暴走を抑止している。
・権利を主張したければ国民の方から出向いて来いというのは社保庁のみならず、多くの役人の考え方だ。これはもちろん役人に責任があるが、一部の責任は国民にもある。国民が役所を過信しているので、役人もまともに対応しようとしない。
・国民一人一人が依存せず、年金記録を要求し、自らチェックして、クレームをつければ、彼らも頑張らざるを得なくなる。
この本の その1
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