2017年3月15日水曜日

坂の上の雲1~8巻 司馬遼太郎

まとめというか、
気になったフレーズの抜粋からのさらに抜粋です。

【1巻】
◆青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを知恵が支配していない。
「それが、若いことのよさだ」
と、子規は歩きながら言った。

【2巻】
◆「相変わらずの獺祭じゃが」
と、子規は、自分の部屋のきたなさについてそういった。獺という水辺に棲むいたち科の動物は、その巣に雑多な魚をあつめて貯蔵する習性があるが、古代中国の詩人はこれをもって、あれは魚を祭っているのだ、とした。子規はそれを踏まえ、
「あしの巣もそうだ。本や反故を散らかしてそれを祭っているのだ」と言い、まだ大学生のころからその居住している部屋を「獺祭書屋」と名付けていた。


【3巻】
「世人は悪い事をせねば善人だと思うているが、それは間違いだ。いくら悪人だって、悪い事をする機会が来なければ悪いことをするものではない。僕だって、今まで悪いことをしないのは、機会がないからだ。ずいぶん残酷な事もやるつもりだがね」
子規ははどういうつもりでこれをしゃべり、書いたのかわからない。どうやら戦争ということがずっと念頭にあったらしい。
◆国家というのは基本的に地理によって制約される。地理的制約が国家の性格の基本の部分をつくり、そしてそれらはきわめて厄介なことに、その時代時代の国家がもつ意思以前のことに属する。

【4巻】
◆明石元二郎とレーニンの葉巻のくだりは、非常に日頃注意すべき話。
◆農耕民族と狩猟民族の有能無能の価値基準の考察は秀逸。
◆あとやっぱり精神論も大切だけど、技術を更新していかないとダメということがよく分かる

【5巻】
◆庶民が、「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家になったということが庶民の生活にじかに突き刺さってきたのは、徴兵と言うことであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前は戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。近代国家と言うものは「近代」という言葉の幻覚によって国民に必ずしも福祉をのみ与えるものではなく、戦場での死をも強制するものであった。
◆「参謀は、状況把握のために必要とあれば敵の堡塁まで乗り込んで行け。机上の空案のために無益の死を遂げる人間のことを考えてみろ」
◆イギリスが、石炭積み込みを妨害した。先のタンジール港の場合、イギリス商人が、ハシケとザルを買い占めてしまって艦隊はひどく積み込み作業に不自由したが、そういうたぐいのことが無数に行われるのである。イギリスは日本にとってはこれ以上の同盟国はなかったが、ロシアにとって悪魔であった。
◆戦争は政治がおこなう最大の罪悪であるとはいえ、その罪悪単に罪悪に留めず、いっそうに頽廃させるのもまた政治である。
◆「ともかくこの惨烈なの戦争が終わったのだ」という開放感が、両軍の兵士に、兵士であることを忘れさせた。このまだ交戦中であるはずの段階において、両軍の兵士がこのように戯れながらしかも一件の事故も起こらなかったというのは、人間というものが、本来、国家もしくはその類似機関から義務付けられることなしに武器をとって殺し合うということに向いていないことを証拠だてるものであろう

【6巻】
◆津川謙光大佐の連隊のごときは、津川が負傷し、塚本という少佐が連隊の指揮をとり、とるだけでなくみずから小銃をとって射撃し、やがては砲弾のために五体がみじんに砕けた。
◆二流もしくは三流の人物に絶対権力もたせるのが、専制国家である。その人物が、英雄的自己肥大の妄想もつとき、何人といえどもそれにブレーキをかけることができない。
◆本日、天気晴朗ナレドモ浪高シ。
という電文を海戦寸前に書いた秋山真之の勝敗計算には、このボロジノ型の新戦艦が波の高い状況下でどうなるかということも要素のひとつになっていた。
◆ロシアには、3,500万の農民がいる。このうち、
「農奴」
といわれているロシア特有の階層が、二千万である。農奴というのは人間であるが、しかし地主貴族の完全な私有物であり、それを地主の都合で売買することもできる。げんに売買された。
◆そばにいたドイツ士官が明石にフランス語で話しかけて、「貴官は、ドイツ語ができますか」と、問うた。明石は、フランス語がやっとです、というと、そのドイツ士官はたちまち明石を無視し、傍らのロシア士官とドイツ語で非常に機密を語り始めた。明石はその会話をことごとく記録した。
◆情義的な動機で仕事をしてくれる者より、むしろ金だけを目的とした職業的スパイのほうがはるかに役に立った
◆古来、この強大な帝国はその属邦に内乱がおこれば、他の民族をしてその民族を征伐せしめる。ポーランドが反乱すれば、国内のユダヤ人に兵器をもたせて鎮圧させ、ゲオルギアが反乱すればアルメニア人に討伐させるなどといったやりかたのために、各種族はたがいに仇敵視し、そういう習癖が不平党各派の対立にまでもちこまれている、と明石はいう。
◆人類に正義の心が存在する以上、革命の衝動はなくならないであろう。しかしながら、その衝動は革命さわぎはおこせても、革命が成功したあとでは通用しない。そのあとは権力を構成してゆくためのマキァベリズムと見せかけの正義だけが必要であり、ほんものの正義はむしろ害悪になる
◆新聞の水準は、その国の民度と国力の反映であろう
◆どこの国に行っても、軍人というのはうんと甘やかされているか、すっかり忘れられているという存在であることを知っています
◆ロシア名称というのは水兵たちはおぼえにくいため、暗記用の日本語をつくった。たとえば、「アレクサンドル三世」は呆れ三太にし、「ボロジノ」はボロく出ろ、「アリョール」は蟻寄る、「ドミトリー・ドンスコイ」が、ゴミ取り権助といったぐあいにおしえた

【7巻】

天才は型の創始者であり、戦術家としてのナポレオンは自分の編み出した型として存在した。かれはその型によってヨーロッパを席巻し、その方が敵に対して通用しなくなったときに、型とともにほろんだ
維新後わずか三十年で各国水準なみの技術効果をあげたいという欲求は当然ながら真似になった。世界の最優秀の技術のサンプルをことごとくあつめ、その優劣を検討しつつ国産品を生み出すやりかたである。
このやりかたは、無難でいい。
しかしながらこのやりかたの致命的な欠陥は、独創で開発するばあいとちがい、その時点における水準を凌駕できないことであった。
戦術原理を諳んじている秀才であったために、その玄人常識のほうにとらわれた
薙射という用語はこの当時の機関銃操法にはなかった。津野田自身の手記では、
「いっせいに、薙げえっ」
という号令をかけた。
軍隊秩序が喪失することは、端的にいえば将校の権威が失墜することであった。
ウドサァ
「この国家に金や兵が備わり、その独立が十分に出来ていたら、戦争などをするには及びません。そんなものがないから、気が狂ったようにこんな戦争をしているのです」
日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に、報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。
戦時における兵卒の持続的服従心というのは士官が有能であるということによってのみ成立するものであった
戦闘力を集中するということが戦術の鉄則であり、戦闘力の分散はもっとも忌まれることであった

【第8巻】
秋山真之は終生、
「最初の三十分間だった。それで対局がきまった」
と語った。さらにこうも語っている。
「ペリー来航後五十余年、国費を海軍建設に投じ、営々として兵を養ってきたのはこの三十分間のためにあった」

全巻セットでもかなりお手頃。



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