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2017年8月3日木曜日

行列のできる審議会~中医協の真実 新井裕充 その3ラスト

ラストです!

前回
その2

カッコ書きは筆者の意見ではなく、
筆者が中医協の議事録から引っ張ってきているものです。
誰が言っているかは省略するので、本を読んで確認して下さい。

第3章
◆診療所は外来医療がメインなので、出来高払いが中心。一方、病院は入院医療がメインで入院分は定額性というところが増えている。
◆「米国は確かに入院期間が短いが、米国にはSNF(Skilled Nursing Facility)という、急性期病院と非常に良く似た急性期病院のレベルの施設がございまして、そこに入っても入所日数は(急性期病院の)入院日数に換算されない。これは政治的な意図でそうされている」
◆「後方施設を充実させるということが、まさに医療を受ける側、国民の立場に立った政策の進め方ではないか」

◆後発品を使った方が差益は出るのに、大学病院はあえて先発品を使っているようだ。
◆医師は後発品を危ないモノと思っているのかもしれない
◆「後発品の納入状況を見てみると非常に価格差があり過ぎる。後発品の中で、20%を切るものもあるし、50%以上の値引きをするものもある。そういったものが医療現場に置いて同一のものとして扱えるのか?

◆「入院時医学管理加算」は、08年度改定を答申した後の医療課長通知で細かい要件が具体的に決められた。その中でも特にネックとなったのは、「退院患者の4割以上が」という基準だった。
◆そこで厚労省は「治癒」の定義を08年10月15日の疑義解釈(通達)で緩和。この後から算定施設が一気に増えた。同時に、DPC調査の治癒率も一気に向上してしまうという冗談のようなことも起きた。「治癒」の解釈をちょっといじくっただけで、凄い影響が出る
◆サラッと読んでしまうと、誰か1人の意見のように思える。しかし、これは1委員の発言ではなく、何と4人の発言を合体したものだった

◆「(保険収載されて)先進医療の点数の10分の1とかに点数が(低く)なってしまうと、結局それが試行されなくなってしまう」

第4章
◆「なんぼ診療報酬で(評価して)みても、(救急医療は)体制の整備ができていなければ何の意味もない」
◆「やはり質の向上には基本的にコストがかかるということを前提にしないと、医療がどんどん荒廃してしまう」
◆「いったん壊してしまうと、戻るには大変時間がかかる」
◆「私どもの考えは『同一の医療サービスを受けた場合は同一の料金にすべきだ』というのが基本でございます。したがって、病院と診療所で再診料が違うというのは、私どもとしては納得がいかないというのが基本」

◆病院がベッド代で稼げるということは、医療費の一部が病院へ行くということ。つまり、製薬企業や医療機器メーカーが潤わない。手術や検査を必要とする急性期病院を手厚くすることは経済界にとっても悪くない
◆「確実にこれが必要な患者さんがいらっしゃるけれども、保険適用でないので払える人が限られているから適用数が少ない。だからその装置が購入できないというようなことになると、装置を購入できる所が限られるから『普及性』がいつまでも満たされない」

第5章
◆現実問題として、医療技術や機器の高度化に伴い、技師も看護師もいないような状況で「医師の腕一本で勝負」ということは考えにくくなっている。医療安全や感染症対策のように、多くの職員が連携して取り組む業務もある。診療報酬だって保険者から病院に自動的に振り込まれるわけではなく、事務職員達が手続きをしている
都会の大病院のように医師や看護師らスタッフが充実していてピカピカの病院ばかりではない。「ちょっと出来の悪い子」も含めて全体的に引き上げることを医療界が言わなかったら誰が言うのだろうか
◆医療界が一枚岩ではないことを厚労省は良く知っている

◆厚労省の医療機能の分化と連携は、似たような病院が乱立している大都会、特に東京だけ診て日本全国を分かったような気になっていると書いたら筆が過ぎるか
◆そもそも医療の質とは何なのか。厚労省も明確に定義していない。「効率化」「標準化」「透明化」などを総合して「医療の質」を考えているようだが、具体的内容はいまだ見えない
◆全国8700近い病院のレベルは様々。大学病院のように高度な医療を目指す病院もあれば、院内の医療安全対策などが不十分な病院もある。出来の悪い病院には、全国一律のマニュアルが必要だと考えているのかもしれない

◆長期入院の患者が多い慢性期のベッド(療養病床)は医療費が増える温床になるので、減らせばいいと厚労省は考えている。慢性期病院からどんどん追い出して自宅で療養させれば、ベッド代や光熱費などは自己負担になる





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行列のできる審議会~中医協の真実 新井裕充 その2

前回
行列のできる審議会~中医協の真実 新井裕充 その1

第2章
◆04年の中医協汚職事件をきっかけに発足した「中医協のあり方に関する有識者会議」がまとめた報告書。現在の診療報酬改定はこの有識者会議の報告書をベースに行われている。
◆議事運営の多くは法律上の根拠がなく、これまでの慣例に従っている。官僚がシナリオを書き、座長がその意を汲んで議事を進める。これは中医協も社保審も変わらない。しかも委員は厚労省が選抜した人たちで固められている

◆審議会の目的は、官僚の考える政策を法律や予算に反映すること。審議会がお墨付きを与えることによって、法律の執行機関に過ぎない巨大な法創造機能を持つことを容認されている。
◆この資料は別用途に集められたデータを流用して作られたため、「捏造」と批判が集中、さすがに担当の課長補佐は左遷されるに至ったやに聞く。
◆「中医協改革」の結果、中医協は権限を縮小され、改定率の決定が「内閣の権限」とされた。医療費の総額がどれだけ増えるかは「改定率」次第。医療費総額に関与する権限がないのだから、もし医療費の総額が足りずに医療法会が起きているのだとすれば、その責任は内閣にあるという論が成り立つ

◆10年度改定は入院4400億円、外来400億円と「配分」枠がはめられ、診療所の再診料は2点引き下げられた
◆現在のようなカツカツの報酬では、高額な医療機器を購入したり病院を改装したりできないという意味だろう。
◆分析結果に従えば、夜間や休日の救急医療に手厚い診療報酬をつけるべきなのは、収入増に直結しない軽症患者を受け入れている小規模病院であるという考え方もできる。
◆10年度改定でも、大病院を優遇する従来の路線が揺らぐことはなかった

◆06年度の診療報酬改定では、入院に必要なベッド代や看護にかかる費用などを評価する「入院基本料」の上限が大幅に引き上げられた(7対1入院基本料の創設)
◆改定の背景にあったのは、大病院と中小病院の格差付け。看護職員を多く配置している大病院に高い診療報酬を与えるべきという日看協の強い要望があった
◆日看協は「退院を促進しても受け皿がないではないか」という日医のような考え方はしない。サッサと退院させて在宅医療に移行させるべきと考えている。その代わり、在宅医療に関わる訪問看護師はもちろん、退院支援に携わる病院の看護師の役割も診療報酬できちんと評価してほしいと言いたいのだ

◆病院と病院との間が数十キロ以上あったり、山を越えなければならなかったりする地域もある。離島もある。地域の特性を無視して、「医療機能の分化と連携」を叫んでも、机上の空論でしかない
◆13対1、15対1を慢性期医療の領域と考えると、急性期病院よりも入院料が低い「療養病小児類似している」という方向に傾く。一方、急性期医療の領域と考えれば「類似していない」ということになる
◆提供している医療行為が大都会の病院と同じでも、スタッフの数が足りなければ、報酬を下げられる。その結果、バタバタと病院が潰れ、残りの病院に患者が集中、医師が疲弊してその病院も崩壊する。「悪徳な中小病院を潰したい」と厚労省は願っているかもしれないが、潰してはいけない病院を壊してしまう悪循環を生んでいる
病院間の距離が数十キロあるという地域では連携したくてもできない。1つの病院内で、様々な病状の変化に柔軟に対応してくれる「施設完結型」の医療が地方では欠かせないとの声も聞く

◆中医協には、患者を代表する委員が1人しかいない。もっと言えば、最大のステークホルダーである、保険料や税金を支払うだけで、「全然、元を取っていない」という健康な人たちの代表者は存在しない。彼らが何を求めているのか、その意見を聴かないまま議論が行われている

◆厚労省は、「センター」や「システム」「体制整備」などの言葉を好んで使う。しかし維持運営に必要なコストを診療報酬できちんと手当てすることは稀で、大抵は不足する分を補助金で渡すような仕組みにしている。
◆拠点化や集約化には「補助金で縛るハコモノ行政」という別の顔もある。医政局がルールを決めて、それに従う病院に補助金を流し込むなど補助金を使って医療政策をコントロールする。

つづき
その3





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2017年8月1日火曜日

行列のできる審議会~中医協の真実 新井裕充 その1

再診料1点、120億円。。。

◆診療所の再診料が1点下がるとどうなるか。1日に40人の再診患者を診る診療所の場合、10円×40人=400円の減収になる。これを1か月25日で計算すると1万円、年間で12万円。全国に約10万の診療所があるので、「12万円×10万施設」で単純計算すると120億円!

◆役人は、ある時は積極的に介入し、ある時は無関心を決め込む。そうやって、記者を飼い慣らしていく
◆記者の間では、入れなかった人のためにインターネット中継をしてほしいという声も出ている。生中継は無理でも、会議を録音した音声データを厚労省のホームページにアップするぐらいなら簡単だろう。しかし、担当課に頼んでも、なかなか動いてくれない。
◆中継や録画を許してしまうと、日常的に行われている議事録の修正ができなくなる

◆公益委員は、有名大学の教授らが務めている。公益委員だけで構成される検証部会というものがあるが、資料は厚労省保険局医療課が準備する。外部の業者を使った調査結果を元に議論はするものの、厚労省の方針に逆らう場面はほとんどない。

◆08年度改定以後、中医協では「外来管理加算」の見直しが毎回のように議論になっていた。「外来管理加算」は診療所などで再診を受けると上乗せされる診療報酬(520円)で、検査や処置をしない場合に算定できる。
◆中医協では、医療費の総額が増えないことを前提に、「あっちを上げるならこっちを下げる」という考え方で議論が進められる。これを厚労省や中医協関係者らは、「財源委譲」とか「財政中立」などと読んでいる

◆医療機関には正当な理由なしに受診を断れないという応召義務があって、赤字になる医療行為も提供しなければならないという仕組みを知っていると、何をバカなという気分になる
◆不思議なことに医療ではニーズのある分野、利用者の多いサービスが削られていく。先導しているのは財務省、実行するのは厚労省、お墨付きを与えるのが中医協。

◆日医の会長選挙は2年に1度のペースで行われる。病院や診療所の収入となる診療報酬の改定案が決まるのは2月なので、その結果がよければ会長も続投しやすくなる。そのため、大局的な意見ではなく、「金を診療所へよこせ」という意見を日医委員が連発する

◆医療記者になって最初にぶつかる壁が病院団体の多さだ。
 最大規模の日本病院会(日病)、民間の中小病院が加盟する全日本病院協会(全日病)、日本医療法人協会、日本精神科病院協会、これら4つは四病院団体協議会(四病協)という連合体を作っており日医と定期的に意見調整を行っている
◆病院団体は他にも、全国公私病院連盟、全国自治体病院協議会、日本私立医科大学協会など多数ある。

◆中医協汚職事件を契機に、10団体でつくる日本病院団体協議会(日病協)が05年4月に結成され、後に11団体になった。
◆中医協の診療側に日病協の枠が二つある。

◆昔は地域ごとに報酬が違っていて、それを引き継いだ甲乙2種類の点数表があった。50年代後半、旧厚生省は開業医に従来の点数表「乙表」を、病院には入院料などの点数の高い「甲表」を適用する案を示したため、日医と旧厚生省が激しく対立した
◆日病の前身日本病院協会は旧厚生省案を指示。62年、日医に加担する民間中小病院の院長らが独立して全日病を結成した。
◆団体のトップと厚労省担当者との人間的なつながりなど、その他もろもろで医療政策が決まっていく

◆中医協で、日看協は「専門委員」という議決権を持たない立場で参加している。脇役ではあるが、看護に関するテーマでは積極的に発言する。
◆診療報酬で都市部と地方の格差が生じることを懸念した発言だが、地方の看護師不足を加速させたのは「7対1」であり、他でもない日看協ではないか、と多くの傍聴者が心の中で思ったはずだ

◆支払側にとって「勤務医の負担軽減」とは、開業医の取り分を減らして病院に手厚くするというだけのことに過ぎない。その結果、勤務医の労働環境が改善するかどうかにはあまり関心がないようだ。

つづき
その2


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2017年4月10日月曜日

【お役立ち】各医療関係職種団体のアイデンティティーというべき「沿革」のリンクをまとめみた

医療関係職種の各団体のHPから、
各団体(職種)の沿革・歴史的なページのリンクを集めてみました。

物事を知るにはまず歴史から。
といっても、力の入れ方は各団体様々で、
資料をしっかり収集して作りこんでいるところから、
いいの?君らのアイデンティティ?それで?
みたいなところも。

とりあえず思いつく限りまとめて上げて見ましたが、
この職種足りないとかコメントで書いて下さい。
適宜足していきます。

あと、このページの方がいいんじゃない?
みたいなご指摘もお待ちしております。

あと、日本看護協会のこのページにある
 保健師助産師看護師法60年史っていうPDFやばいです。
報告書の欄の下のほうです。
 http://www.nurse.or.jp/home/publication/index.html#p6

「日本の看護のあゆみ」って本を、このサイトでお勧めしていますが、
それの簡略版みたいな感じで、超まとまった資料になってます。
これぞ業界団体のギルド機能!って感じです。
あと日医の50周年記念誌もいいです。


順不同!!ウチの職種の方が先だろ!はなしで。笑

日本医師会
http://www.med.or.jp/jma/about/50th/

日本歯科医師会
http://www.jda.or.jp/jda/about/history.html

日本薬剤師会
http://www.nichiyaku.or.jp/yakuzaishi.php?global_menu=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%96%AC%E5%89%A4%E5%B8%AB%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81&side_menu=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%96%AC%E5%89%A4%E5%B8%AB%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%BF&id=550

全国保健師長会
http://www.nacphn.jp/01/hossoku.html

全国保健所長会
http://www.phcd.jp/01/enkaku/index.html

日本助産師会
http://www.midwife.or.jp/association/ayumi.html

日本看護協会
http://www.nurse.or.jp/home/about/jigyou/history.html

日本臨床検査技師会
https://www.jamt.or.jp/public/activity/enkaku.html

日本診療放射線技師会
http://www.jart.jp/profile/enkaku.html

日本理学療法士協会(GOOD!)
http://50th.japanpt.or.jp/history/

日本作業療法士協会
http://www.jaot.or.jp/about/associa.html

日本言語聴覚士協会
http://www.jaot.or.jp/about/associa.html

日本精神保健福祉士協会
http://www.japsw.or.jp/syokai/gaiyo.htm

日本栄養士会(GOOD!)
https://www.dietitian.or.jp/about/history/

日本視能訓練士協会
http://www.jaco.or.jp/kyokai#anchor3

日本義肢装具士協会
http://www.japo.jp/top/profile.html

日本臨床工学技士会
http://www.ja-ces.or.jp/ce/?page_id=22

日本社会福祉士会
http://www.jacsw.or.jp/01_csw/01_yokoso/enkaku.html

日本歯科衛生士会
https://www.jdha.or.jp/outline/about.html

日本救急救命士協会
https://www.paramedics.jp/page1.html

日本介護福祉士会
http://www.jaccw.or.jp/fukushishi/index.php

日本介護支援専門員協会
http://www.jcma.or.jp/corp/greetings/index.html

日本柔道整復師会
http://www.shadan-nissei.or.jp/nissei/history.html

日本あん摩マッサージ指圧師会
http://nichimakai.or.jp/about.html

日本医療保険事務協会
http://www.shaho.co.jp/iryojimu/about/establishment.php

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2017年3月23日木曜日

ムンテラという言葉の意味が分からなかったので調べてみた

ムンテラという言葉が不意に出てきて、
意味がハッキリわからなかったので、
ちょっとググって調べてみた。

◆看護用語辞典 ナースpedia
https://www.kango-roo.com/word/3459
ムンテラ(むんてら)とは、病状説明のことである。ドイツ語のMund「口(くち)」+Therapie「治療」を組み合わせたもの。

◆通信用語の基礎知識
http://www.wdic.org/w/SCI/%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9
似たものに、英語でインフォームド・コンセントと呼ばれる治療方法があるが、こちらは日本語で「説明と同意」と訳されているように、患者に理解してもらい、(診療に)同意を求める、という点で、いわゆる説明のみを示すムンテラとはニュアンスが異なる。

◆ムンテラとインフォームド・コンセント 奥道 恒夫
http://www.hiroshima.med.or.jp/ishi/kinmui/docs/2258k.pdf
私が医学生の頃は、臨床倫理に関する講義を受けた記憶がありません。また、医師免許を取得後、少なくとも昭和の時代においては臨床倫理の問題で悩まされたことはありませんでした。
その背景に、「医師と患者の間に深い信頼関係があった」というのではなく、ムンテラ(MundTherapie)と称して「私の治療法に従いなさい」という風潮があり、治療法の決定権は医師にあるのが一般的でありました。そこには、倫理の問題もクレームもましてや医療訴訟とは全く無関係な時代でした。

◆ムンテラとインフォームドコンセントの違いについて 酒井 穣
http://kaigolab.com/column/8713
医師が「ムンテラ」を行うときは、頭の中には、患者を説得する落としどころがあるわけです。病気に関して、必要最小限のことを、相手の知力に合わせてわかりやすく説明し、患者には、医師の考える治療法が最善であると言えるロジックを伝えます。
医師としては、訴訟リスクが高そうだと見ると「インフォームドコンセント」に動き、それ以外は「ムンテラ」で対応するといったところが現実になってきます。医師も、この状態が良いとは思っていないと思いますが、このあたりの対応で精一杯でしょう。「インフォームドコンセント」に時間がかかりすぎて、患者の治療という本来の仕事がおろそかになってしまうのは本末転倒です。

◆レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000013017
一般にムンテラは医師が患者に対し疾患の診断、治療などに関して説明、説得することであるが、反面その場を取り繕うという意味もあった。しかし現在では概念を拡大し、良好な医師患者関係を作るための手段と考えるようになった。すなわち、治療者の疾患に関する説明などにおいて簡易精神療法の受容、支持、保証のどれに該当するかを治療者自身が常に意識して患者と会話することは、従来いわれているムンテラをさらに積極的肯定的に把えようとするものである。『看護学大辞典』


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2016年10月26日水曜日

日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 11

前回
日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 10


今回は戦前~戦中の保健婦(師)の歴史。
この辺りも貴重な史料写真いっぱい。
是非実物の本を見て欲しい。

保健婦の成り立ちを学ぶのは、
そのアイデンティティをもう1回確認するのに役立ちそうですね。


◆保健婦は、看護職が健康と社会的状況に対応する活動の中から生まれた。
◆地域で活動した看護職は1920年代後半頃から社会看護婦、公衆衛生看護婦、訪問看護婦その他の名称で呼ばれ、保健・医療・社会福祉従事者として児童の集団感染予防、結核療養指導、母子保健福祉活動を中心に健康生活支援を担う役割を果たしていた。

◆保健婦の名称は、1928年に設置された大阪市の小児保健所で働く訪問婦を保健婦と称したのが始まり。
◆保健婦たちは、旧制の女子専門学校の卒業者でかつ日赤大阪支部病院で乳幼児保健や看護の指導を1力月程度受けた、当時としては高学歴の知識人であった。

◆制度的には、1937年の保健所法施行以降で、保健所職員の定員の中に保健婦の職名があるのが最初。
◆地域で活動する看護職教育の始まりは、日赤と聖路加女子専門学校。

◆公的機関が最初に開設した保健婦養成所は、1937年の大阪府立社会衛生院(1942年に大阪府立厚生学院と改称)

◆保健婦教育における国の制度は、1941に保健婦規則が公布され、同年厚生省から告示された私立保健婦学校保健婦講習所指定規則が始まり。

◆保健婦免状は地方長官(知事)が授与し、その資格は18歳(満16~17歳)以上の女子であり、 2通りの取得方法があることは助産婦や看護婦と同様。
 ①地方長官による試験(いわゆる検定試験)に合格し、その後3力月以上保健婦としての業務を実施した者。この試験の受験者は、1年以上看護または産婆の学術を修業した者
 ②厚生大臣が指定した学校または講習所を卒業した者。私立保健婦学校保健婦講習所規則による学校講習所には、第1種、第2種、第3種があり、いずれも厚生大臣の指定が必要。
  第1種:高等女学校卒業又は同等以上の学力を有する者、修業年限2年以上、うち1,200時間以上の臨床看護の実習と3力月以上保健所法による保健所その他適当なる施設において保健婦業務の臨地訓練に従事する。
  第2種:看護婦有資格者、修業年限は学説及び臨地訓練等を通じ6力月以上、うち3力月以上保健所法による保健所その他適当なる施設において保健婦業務の臨地訓練に従事する。
  第3種:産婆有資格者、修業年限は学説及び臨地訓練等を通じ1年以上、うち600時間以上の臨床看護の実習と3力月以上保健所法による保健所その他適当なる施設において保健婦業務の臨地訓練に従事する。

◆1942年、衛生行政は警察部から内政部に移管され、看護職の就業届は警察署でなく府県庁の担当課に提出されるようになり、医療や衛生問題は取り締まり行政から指導行政へと変化した。
◆1944年、保健婦規則の一部改正。養成所指定の権限は行政事務簡素化の目的で厚生大臣から地方長官に委譲された。
◆国から地方への養成所指定の権限委譲は、戦時体制ともあいまって多岐にわたる教育や試験の受験資格を生み出した。

◆1941年の看護婦規則の改正による免許取得年齢の引き下げから始まり、戦時体制としての多岐にわたる看護婦教育や資格取得方法が影響している。
◆保健婦規則による教育開始後、間もなく、教育期間は第1種の2年が1年半となり、第3種の1年が10力月になった。その後も授業内容の変更や時間が短縮。保健婦の増員が図られた。

◆生徒のほうも戦時体制への協力だけでなく、1943年頃からの女性の軍需工場等への強制動員を避けるため、当時の中等・高等教育の中で、看護職として保健婦を選んだ傾向もある。
◆当時の詳細な記録はないが、新制度保健婦として保健所に初めて配属された保健婦は、当時の同僚保健婦に各種の資格取得者がおり、複雑な事情を見聞きしている。

◆1945年5月、厚生省規則に代わり、国民医療法に基づく「保健婦規則」が新たに公布され、厚生省通達の「私立保健婦学校保健婦講習所規則」は「保健婦学校保健婦講習所規則」になった。「保健婦学校保健婦講習所規則に基づく保健婦養成」は、1954年8月31日まで存続。






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2016年10月25日火曜日

日本の看護のあゆみ 日本看護歴史学会 10

前回
その9


今日は産婆と看護婦の教育の歴史です。

産婆についてはこの辺と合わせて読むと面白いかもしれません。
「“いのち”をめぐる近代史―堕胎から人工妊娠中絶へ」岩田 重則



◆わが国における看護教育は、1885年に東京で、1886年に京都で始められた。
◆保助看法制定に至るまでの旧制度と称されている三規則
 ・1899年公布の産婆規則
 ・1915年公布の看護婦規則
 ・1941年公布の保健婦規則
◆高等学校卒業者に3年の教育をして、国家試験合格者に看護師免許を交付する教育制度は、保助看法制定の前年、1947年の「保健婦助産婦看護婦令」公布から始まった。

◆現行の看護教育のカリキュラムの出発となった「保健師助産師看護師学校養成所指定規則」は、19518月に制定。この指定規則に基づくカリキュラムは数次にわたって改正。
◆直近の教育内容に係る大きな改正は、20114月。看護をめぐる環境に配慮した質の高い看護を提供するために、学生の看護実践能力を強化する教育を求めている。

◆わが国の看護教育制度と言えるものは、産婆(助産婦)に関するものが最初。
1874年「医制」が制定。この中に産婆に関する規定が定められ、翌1875年に「産婆免許規則」が訓令されて、産婆教育が開始。

◆その教育の近代化は、1899719日に勅令として制定された「産婆規則」から。
◆「産婆規則」では、地方長官(政府から任命された府県知事)が行う試験の合格者に実地試験が行われ、合格した20歳以上の女子が産婆名簿に登録することによって、産婆業務が実施できた。

1910年の同規則改正によって、産婆資格取得は、①内務大臣の指定した学校または講習所を卒業した人、②産婆試験(いわゆる、検定試験)に合格した人に。
◆①の学校または講習所は、入学資格を高等小学校卒業者として2年間の教育を行った。当時は、尋常小学校6年までが義務教育で、女子の高等小学校への進学はわずかであり、産婆学校.講習所の卒業生は当時としては高学歴女子。
◆検定試験については尋常小学校卒業でも受験可能であった。

1912年、「私立産婆学校産婆講習所指定規則」。
◆産婆規則による産婆には看護婦業務を行う資格はなかった。
◆産婆の養成施設数は、1914年までに1333県で合計127(公立16校、私立111)が設立された。そのうち、内務省令指定規則による産婆養成施設は9校、他は検定試験を受験するための短期の講習所。
◆これらの養成施設は、その名称に「産婆」を用いていた。

「助産婦」の名称を用いた教育の始まりは、1892年に大阪で設立された緒方助産婦教育所。設立者の緒方正清は、わが国の新しい産婆教育に貢献した医師の一人。
◆「産婆とは学術の素養なき老婆を示し、助産婦とは素養あり規定の試験を終へたるものの名称を表す」と記し、「助産婦」と改めるよう提唱。
◆緒方は1896年、産婆改良に関して内務省に意見を開陳し、同時に『助産之弁』を発刊し、助産婦学会を起こし、卒後教育にも努めた。
助産婦という名称が公称されたのは、1942年の「国民医療法」。正式な名称改正は1947年の「保健婦助産婦看護婦令」から。

◆産婆講習所の専門科目は医師によって教授された。
◆検定試験を受験する人の教育は産婆規則に医師の指導の下でと記載されているので、開業医の下で1年以上見習いとして働き、試験科目のほとんどは独学して、医師の証明書を得て試験を受けた人も多い

◆「産婆規則」から1947年の「保健婦助産婦看護婦令」制定までの間、産婆の教育制度に大きな変化はなかった。
◆「産婆規則」成立後から大正時代には、資格を持った産婆がそれぞれの地域で定着するようになり、人々の意識も資格を持った産婆に助産を依頼する方向に変化し、需要も増えていった。
◆戦前は自宅分娩がほとんどであった。産婆は身近な存在として、出生児の母親や祖母から信頼され、各地方の女性のリーダーとしての役割を果たした人が多く、自立心のある女性の憧れる職業の一つであった。

◆わが国における看護教育の始まりは、1887年前後。
◆高木兼寛らによる有志共立東京病院看護婦教育所(後の慈恵会付属看護婦講習所)、櫻井女学校付属看護婦養成所(東京)、新島襄らによる京都看病婦学校(同志社)が創設、続いて1889年には帝国大学医科大学附属第一医院看病法講習科、日本赤十字社看護婦養成所。
◆日赤を除いてキリスト教宣教看護師の直接的指導あるいはイギリスのナイチンゲールによる看護教育などを模範とする女子教育・西欧文化の受け入れとして開始。

1915年に「看護婦規則」が内務省令として制定された。
・看護婦免許を取得するには年齢18歳以上(16~17)で、2通りのコース
 ①地方長官の指定した看護婦学校または講習所を卒業した者
 ②地方長官の行う看護婦試験(いわゆる検定試験)に合格した者
◆地方長官から看護婦免状が下付され、この看護婦免許を所持しなければ看護婦と称して業務することができなくなった。
2コースによる資格取得方法は産婆に準ずるものであり、1900年に出された「東京府看護婦規則」やその後の各府県の規則も同じ

◆検定試験受験の要件は、義務教育であった尋常小学校卒業以上で、医師の下で1年以上看護を学んだという医師の証明が必要。
◆開業医の下では診療の介助やお手伝いさん的な仕事をし、試験科目の勉強は独学が多く、高等小学校卒業以上を基礎学歴とする指定校卒業生との学びの差は大きかった。

◆看護婦規則制定の2力月後、1915年に「私立看護婦学校看護婦講習所指定標準ノ件」内務省訓令が定められた。
◆それまで各都道府県別に定められていた看護婦学校または看護婦講習所における教育内容が全国的に標準化された。

◆この学校講習所の修了者には無試験で免状が与えられた。さらに、この訓令の取り扱いについて「看護婦規則並私立看護婦学校看護婦講習所指定標準」が通達された。
◆看護婦規則制定まで、府県で看護婦に関する規定があって、府県の看護婦免許を得ていた者はそれを適用し、それ以外のこれに類する看護の教育を受けて看護婦となった者も同じ既得権が適用されるとするもの。
◆官立、公立の看護婦学校講習所の指定にも、この指定標準が準用された。
◆従来の看護婦養成所は、規則制定後に地方長官指定看護婦学校講習所として認可されたものと、指定標準に満たない学校とに分けられた。

◆日中戦争の戦局を反映して1941年に看護婦規則が改正され、免許取得年齢の18歳以上は17(15~16)以上と繰り下げ
◆同年128日に太平洋戦争に突入し、1943年には戦況急迫による看護婦増員の目的で「女子中等学校卒業者に対する看護婦免許に関する件」が文部省、厚生省共同で通達。高等女学校で600時間、看護に関する科目の授業を行った学校は看護学校の指定を受け、卒業生には免状が与えられた

 1944年、免許取得年齢が16(14~15)に引き下げ。
◆看護婦学校講習所の教育年限を2年から1年半に短縮するなど、他の学校教育同様短縮された。
◆同年、看護婦規則改正で検定試験受験資格特例として、医師の下での経験は女子中等学校卒業者が3力月以上、その他は6力月以上となった
◆当時の状況から見ると、中等教育は実業学校等で3年のところもあり、尋常小学校卒業後6力月でも看護婦試験を受験し、合格者に看護婦免許が出された。
◆終戦間際の194565日に帝国大学系と官立医科大学系の看護婦養成所は、勅令によって看護婦と高等女学校卒業の資格が取れる修業年限3年の厚生女学部となった。

◆看護婦規則による教育機関の中で、先駆的な存在は聖路加。
1900年、聖公会宣教医師として来日したルドルフ・トイスラーは、1920年、高等女学校卒業生に3年間の看護教育をする聖路加国際病院付属高等看護婦学校を設立。
◆カリキュラムはアメリカとカナダの看護教育をモデルとし、看護教育の責任者をアメリカ人のナース、ミセス・セント・ジヨンとして、看護は看護婦が教育した。
1927年に旧制専門学校の聖路加女子専門学校となり、ここに看護を学ぶ文部省認可の高等教育学校が出現した。

◆日赤では、志願者の学歴の高まりに応えて学力の均質化を図るため、1933年に日本赤十字社救護看護婦生徒・救護看護婦長候補生養成規則を制定し、入学資格を高等女学校卒業者としている


 

つづき
その11




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