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2017年8月29日火曜日

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話 宇野 常寛  その4 ラスト

前回

7章 落合陽一
◆コンピューターにとって苦手なことを克服させてあげて、コンピューターの存在を広める側にいる人の方が、やはりコンピューターに愛されて楽しく生きられている。これこそがITの原理だろう
◆コンピューターの存在が意識されないくらいに道具として使い倒してやれば、うまく共存できる気もする。それは、人間と機械が1つになるという話ではない。むしろ逆で、環境に埋め込まれた、それこそ酸素くらいに無機的な存在になれば、完全に支配できるんじゃないか
◆今の2Dディスプレイのような中途半端な速度と解像度では、どうしても機械のような印象を受けてしまう。コンピュータをそうと意識しない未来は、今の状況越えた先にあって、こうした視点はこの先、差し迫ったものになる

◆どうして映像が見えるのか、というところから考え直している。大事なのは、一つ一つ手を動かすこと
◆そもそも世界は変わらないという前提自体が単に鈍感さの産物であったとしか思えない。そしてこの鈍感さがどこから生まれてきたかと言うと、60年代から始まった左翼的なものの世界的な衰退に起因している
◆つまり20世紀的なイデオロギーを根拠にした世界変革以外のイメージを、人類はなかなか持つことができなかった。革命に失敗したら、あとはもうヒッピー的に、あるいは昔のオタク的に、ドラックやカルトやニューエイジに走って自分の内面をチューニングするしかなくなってしまった

◆僕らのちょっと上の世代の人々って、現実世界と仮想世界と言う区分、あるいは現実と虚構のパラダイムでむりくり考える。でも、テクノロジーは日常と不可分なほど身近なところまで落ちてきているのに、無理矢理SF調にもっていくのはきつい。
◆書物を徹底的に読み込むことで自分がすごくなっていくと思い込むような、まるで当時の文学青年のような発想で彼らはコンピューターを扱っている。ここではないどこか、もう一つの現実を求めている

◆仮想現実的な虚構感がテクノロジーの発展に置き去りにされて、既判力を持たなくなってしまったのが現在なんだと思う。僕ら自身の内面を変えるよりも、僕らと現実の「関係」をテクノロジーによって書き換える方が効果があるし、面白くなっている
◆攻殻機動隊はインターネットの時代を書いている。しかし彼が考えるインターネットは結局、「脳に電極を指す系」のイメージを引きずりすぎてしまっている。あの映画は、情報技術が発達すると人間の内面により深く潜ることができて、そして他人が自分の内面に深く潜り込むことで新しい人間像が生まれる、と言う世界を描いている

◆世紀の変わり目に情報技術のトレンドは仮想現実(VR)的なものから拡張現実(AR)的なものに移り変わっていると言われている
◆20世紀的、映画的、仮想現実的な極寒の持ち主には、自分と現実との関係をテクノロジによって書き換えていくことが社会の変革につながると言うイメージをどうしても持てないみたい。まだ表面化していないけれど、実はこれは大きな思想的対立になっていくと思う
◆映画は結局、フィルムにうつされた物体が物語を語っている。でも、僕らの世代がやるべき事は、物体が直接我々に、そして身体性を伴って語りかけてくる仕組みを作ることだと思う。それって、時間と空間をあやつることで、まさに魔法と同じ
◆落合さんの言う魔法的なテクノロジー、人間と世界との関係性に介入して書き換えるテクノロジーは、確実に現実の一部を書き換えている。人間の脳内の錯覚を生むのではなく、物体から発する信号自体を書き換えているわけだから。

◆宇宙空間に行って3次元的な空間の操作に対応していけば、人間のある1つの能力が開花するはず
◆アムロはモビルスーツの装甲越しにシャアの存在を感知する。あれは要するに、富野由悠季が未来の人類は物理的、あるいは社会的空間を無視して相手の存在にたどり着くようになるという感覚を持っていたということだと思う

◆そもそも日本の現代アート自体が、どれも弱者であることを押し出すことで勝利していると思う
◆十字架は日本人にはバッテンにしか見えない。だから僕らにはあまり思いではない。でも、こういう風に、日本人には当たり前でありながら、西欧人には強いインパクトを持つ表現というのもあり得るはず

◆ソニーはニュートラルな形で、生活を快適にする商品を世界に売っていた。日本の文化的側面の1つの特徴である「からくり」に対する造詣の深さがフルに活かされた品々
◆国家や社会というのは映画のようにバーチャルなもので、それを信じることによって巨大な社会が成立していた。しかし、消費社会や情報社会が加速すると、そのほころびが見えはじめてくる。
◆バラバラになったものは新しい装置でどう結び直すのか。そこで重要なのが、ポスト映画的なものとしてもインターネット的なものであることは間違いない。しかしその具体的なイメージはまだ誰も出せていない。





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2017年8月28日月曜日

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話 宇野 常寛  その3

前回

第5章 猪子寿之
◆単にコストカットと最適化だけが追求される社会なんて、憧れの対象になるわけがない。そうではなくて、理想的な世界のイメージを提出するには文化の力が絶対に必要。文化の領域でビジョンを出していかないと、人を動かすことはできない。
◆頭がいい人たちが思っている以上に、人々は「かっこいい」みたいな基準で物事をジャッジしているから、美の概念がバージョンアップすると、社会そのものもいずれ、求めていた世界に変化していく

◆お金を持った偉い人が「アートを大切にする」なんて言って、クラシックのコンサートを開いたりマネとかモネとか買ってる場合じゃない。何を支持して、何を達成したいのか。そのビジョンのために美の基準をバージョンアップすべき
◆どういう「美」を推し進めたら日本が生き残りやすくなるか。大航海時代に、ヨーロッパが武力でアジアやアフリカを植民地にする時だって、軍人や政治家だけでなく、宣教師も一緒についてた。力だけではなくて、ある種の価値観や「美」を変える仕組みをセットにすることが、昔から重要だった
◆インターネットが生まれたことで「表現すること」の敷居は下がったように見えた。しかし実は逆で、個人単位での発信が平易になると、個人間の才能の開きが露骨に見えるようにもなった。

◆場の空気が決めていることを「天皇」というキャラクターが決めたことにすることで個々人が責任を回避するための装置として機能してきた
◆コミュニティの中で実在しない人格を実在するかのように扱うこと、そしてその架空の存在、つまりキャラクターを介して個人が間接的に社会にコミットする、というのが日本の文化の本質にあると思う
◆日本のキャラクター文化って「性的なもの」と結びついている。昔から今に至るまで、セクシャルなイメージの回路を使って、キャラクターと言う感情移入装置を稼働させてきた。猪子さんの場合はテクノロジーで補っている。

◆文化を作る者には固有名詞からトップダウン的に創造されるものと、コミュニティからのボトムアップに生成するものという、二つのクリエイティビティがある。そして、この2つは大きく分断されている。
◆ジャンプが実践しているのは、作家と編集者のユニットで一旦閉じてしまって、日本の業界のどこともつながってなくていい、という割り切り。



第6章 尾原和啓
◆ここ20年の日本のインターネットの進化史をある視点から見れば、この先の民主主義のあり方だとか、共同体を作っていくための手がかりや道具がたくさん埋まっている。
◆尾原さんの「ITビジネスの原理」のなかでは、アメリカのインターネットは確かに「コストカットと効率化」が重視されているけれど、日本的な情報社会では「無駄と過剰性」を生むところにポテンシャルがある、と一貫して主張されている
◆結局、「過剰なもの」は僕たちのパワードスーツ。ある種のコミニケーション消費というか、「自分が強くある」と言う感覚を含めて、着ている気がする

◆選挙って短期戦だから、炎上マーケティングの方が効果が高い。炎上を起こして100万人の敵を作ると1万人ぐらいの味方ができて、その1万人の味方は熱量が高いから投票に行ってしまう
◆戦後の日本で言えば、農協は自民党、連合は社会党と結びついていて、田舎の農業従事者と都市の工業労働者の利益をそれぞれ代弁していた。でも社会が複雑化すると、自民党にも社会党にも自分の利益を代弁してもらえない人たちが出現し、都市部を中心とした浮動票になる。浮動票となった人たちは、マスコミによる世論形成に強く影響されて投票を行うようになる

◆ネットが社会の一部になった今だからこそ、ネットで起こったことが本当に現実社会を変えるようになる。その時一体何が課題になるのか?

◆効率化によって既得権益を壊すだけで、新しいものを生み出す量が少ないというネットのマイナス面だけを見て「ネットは悪いもんなんだ」と思って欲しくない
◆この「過剰性」をちゃんとポジティブに捉えられるようになると、楽天のように「物語を生む」ことでお金を払ってもらえるようになったりする

◆今まではコミュニティーを形成して集まったとしても、そこに集まった人たちの悩みを解決してくれる生活インフラが提供されないから、コミュニティを作る意味がなかった。◆これからは、ネットを使って彼らのライフスタイルに合った良い生活インフラを、コスト破壊して簡単に提供できるようにしてあげれば、集まる意味ができてくる

◆今までのシェアって、airbnbのように空いているキャパシティーを有効活用しようという観点からしかビジネスを作っていなかった。
◆シェアを通じてライフスタイルを群体にすることができるならば、必要とされるファイナンスサービスはこれで、ヘルスケアサービスはこれだというような形で、生活インフラを束ねたベクトルにできる。そしてライフスタイルが群体になると、政治に対しての圧力という話につながってくる
◆同じようなものを使用したいと思っている人や、同じものを必要としている人同士での連帯の可能性の方を目的にすべき

◆インターネットの良いところは「嫌な同調圧力をかけられたら他のところに行けばいい」という状況を生んだこと
◆6人のコミュニティだと空気を読まなければならないけど、500人とか1,000人のコミュニティになれば「既読をつけているのに返事をしない」とか、そういうことを気にしても仕方なくなる
◆いじめって30人や40人の規模で1カ所に集めているからなくならない。大学の大講堂みたいなところで授業やって、コマごとにメンバーが入れ替わる形式であれば、いじめなんて起こらない。起きたとしても逃げやすい。つまり、規模が大きくなると、ローカルな文脈の空気がどうでもよくなる

◆「子育てが楽しい」「子供がかわいい」とか、そういうシンプルなところで子供を作るということを動機づける以外には考えづらい。現状ではその「楽しい」というメリットの対価として、母親のキャリアが一瞬で水泡に帰すと言う大きすぎるリスクを負わなければいけない


つづく
その4 ラスト



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2017年8月26日土曜日

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話 宇野 常寛  その2

前回
その1

第3章 駒崎弘樹
◆政治という回路も遅いし、市民運動的なアプローチも力が弱い。であれば、自分で事業を作って目の前の人を助けて成功事例にして、それを制度化するロビイストとして振る舞うことで、官僚たちの意思決定回路に乗せて制度に接続して全体を救うと言う方程式があるのではないかと考えた
◆これまでのNPO業界は、自分たちのやっていることが現場オリエンテッドだから、国に対して「お前の机の上だけで政策作ってんじゃねーよ」と敵対意識を持ってしまいがちだった
◆もしかしたら変革のイメージと言うのは、救世主が劇的に現れてパーンと変わるよりは、いつの間にか良くなっている方がいいのかもしれないと思った
◆怒りが動機だった時は、いろいろな人を巻き込むのに失敗した。怒っている人には誰も近づきたがらないから。特に、怒る対象だった行政等は、うまく巻き込むことができなかった。でも、楽しいと思うようになってからは、巻き込める人が多くなった。

第4章 門脇耕三
◆少なくとも、スポーツ施設のみに特化したエリアを開発することによって問題が生じたという、オリンピックの歴史上の教訓が生かされている。しかし、そうした歴史を知らずに批判をしているから、今の議論はとても的外れなものになっている
◆再開発の結果生まれる新市街を実際に使っていて、文化的にも親和性の高い人たちが、オリンピックを「間」と思っていて、「電通の広告戦略になんて載せられねぇぞ」と反発している
◆逆に、テレビで「オリンピックが来ると日本の景気が良くなりますよ」と言われて「これで昭和の日本が帰ってくる」と喜んでいる人たちの住む旧市街は、はっきり言ってしまえば相対的に捨てられていこうとしている
◆旧市街はもはや文化を担う場所ではない。資本投下の対象になりきってしまった都心では、新しい文化を育てるなんてリスクでしかない。だから現在の都心では、既成の文化の二次消費的な動きばかりが目につく

つづく
その2



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2017年8月25日金曜日

静かなる革命へのブループリント: この国の未来をつくる7つの対話 宇野 常寛  その1

批評誌『PLANETS』編集長である宇野常寛が、

1 根津孝太、2 吉田浩一郎、3 駒崎弘樹、4 門脇耕三
5 猪子寿之、6 尾原和啓、7 落合陽一

という次世代を担う企業家やデザイナーと対談した本。

この本を手に取ったきっかけは、
落合陽一さんの講演をyoutubeで見て感銘を受けたからです。
まずこの本が手に入ったので、これから読み始めました。

やっぱり時代を進歩させるものは技術だったりデザインで、
自分で生み出せなくても、しっかり押さえておかなくてはいけない。

駒崎さんと猪子さんはテレビなどで知っていたのですが、発言を読むのは初めてだった。
特に駒崎さんの政策化するためのリアルスティックな考え方、猪子さんの「ビジョンのために美の基準バージョンアップさせる」というのは至言。

他の方たちは存じ上げなかったのですが(会社の名前は知ってたけど)、
それぞれの分野でのこだわりや見通しがあって面白かった。
っていうかこれだけ広い分野の話を捌く宇野さんも凄い。

さて、自分は何ができるかをしっかり考えなくてはいけないなあ。

第1章
◆若者の車離れが話題に上る時、僕はいつもこう言います若者に擦り寄っても、彼らはこちらに来てくれない。まず、カッコいいオッサンを作ること、あなたがカッコよくなることから始める。
◆最適化の話をすると、まずは自分たちの生活レベルを落とすところから始めよう、という話になってしまう。
◆お客さんに本当に喜んでもらおうと思ったら、お客さんの想像を越えて行くことが絶対に必要で、それがプロダクト・アウトの部分
◆結局のところ、僕らがこういう未来にしたいと考え抜いて提案した部分しか、これからは評価してもらえない

◆トヨタは高めてきた効率が生産効率だったら良かったが、結果的には管理効率を高めていた
◆日本的コミニケーションを逆手にとってクリエイティビティを伸ばすという発想を忘れて、形だけの欧米化としての官僚組織化を行った結果、日本的ムラ社会の悪いところだけが残ってしまった。
◆ステップを踏むことに、少しずつ車に対する欲望が変化していく
◆ミニ四駆工作教室を開催していていつも感じることの1つに、「動くものが持っているカタルシス」があります。苦労して一生懸命組み立てたミニ四駆がコースを走りだした瞬間に、子供は狂喜乱舞する

第2章
◆国からしてみれば、正社員と言う制度は非常にまっとうな選択。年収を正確に把握できるので、確実に税収を確保できる。
◆雇用の流動化を批判する自称リベラルな政治家やジャーナリストは、目先のことを考えて、すぐにみんなが正社員になると時代に戻そうという主張してしまう。
しかし、本来彼らは日本の家族的で、封建的な人間関係を知る日本の企業文化を批判して、もっと自由な働き方を訴えてきた人たちだったはず。

◆クラウドワークスでは受注者が5社と契約して毎月10万円ずつもらうという形式をとっている。そうすると、たとえ1社から契約を切られても、残り4社との契約があるから、個人が強くなれる。
◆アメリカで、クラウドワークスは仲間を変えてプロジェクトを組める世の中を目指しているという話をした。すると向こうの人はその感覚はよくわからない。仕事はプロフェッショナル同士がやるものだから、仲間と言う感覚は無いと言った。
◆仲の良い男女が、ある日突然Facebookでいいねを使わなくなったら、それはこっそり付き合い始めたサイン。このようにインターネットは日本的な文脈や空気を可視化する効果がある。

◆月々2万円のお小遣いをプチ稼ぎして夕食のおかずを一品増やそうというのもアリ。正社員ではない人たちを「お前たちはダメだ」とか「あなたは搾取されていることに気づいていない!」と決めつけてしまう議論は、リベラルなようでいて、実はすごく狭量。本人たちが楽しがっていることを、きちんと尊重できていない

◆土地と文化が生き残るのに必要な人口は1,000人から5,000人で十分
◆高千穂のような街に住むのは、その土地でないと生きられない人々、特に高齢者と、その土地と文化を守る仕事に従事している人だけでいいと思う。そして彼らの安全な生活とクリエイティビティを確保するためだけに税金を使うべき

つづく
その2



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2017年2月3日金曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その5 ラスト

前回
その4

「保守政治の良識」というところはハッとしました。
本質を突いてますよね。

右とか、左とか、保守とか、進歩とか、、、
どっちが良い悪いとか色々言いますが、こういうことですよね。
どっちにも意味がある。バランス。選択肢の多様性。
変わらないことも1つの立派な選択肢。

それではラストです!学びの多い本でした!

【ルール9】
◆純粋な理想主義者ほど、理想を共有しないものに対しては過酷、残酷になる
◆現実とは多様であり、人間の働きかけによって動きうるものであるにもかかわらず、日本では常にある種の現実が不動の前提とされ、それに追随することを現実主義と呼ぶ傾向があると言う
◆一国の外交力は、どれだけ多様なシナリオを準備し、それに応じた多数の行動の選択肢を持っているかにかかっている。したがって、常に一つの答えしか持たない日本には、外交力はない
◆保守政治の良識は、目的と手段の関連を考慮し、善なる目的のために大きな犠牲が生まれることにブレーキをかける。また、理想の美名の下で権力が暴走することを批判する。
◆アメリカの政治家が、狂信的、熱狂的になる理由や背景は分らなくもない。アメリカはキリスト教の影響を色濃く受けている。特に、キリスト教の中でも原理主義と呼ばれる宗派、福音主義が近年政治的にも影響力を持っている
◆理想を求める運動が過激化し、理想に向かう純粋性を競うような状況に陥った時、この流れに身を任せることは楽である。狂信的な運動に水をかけ、本来の理想とと今の運動が矛盾していないかどうか問うことは、とても勇気がいることである。
◆社会主義の代わりに自由な市場、革命の代わりに改革、共産党幹部の代わりに経営者と新自由主義の経済学者を配置すれば、同じような理想主義が幅を利かせていることに気づく。
◆日本における小さな政府路線のリーダー、小泉純一郎という政治家は、保守政党の出身でありながらユートピア主義者であった。そのユートピアを飾り立て、人々に受け入れさせたのが、改革というシンボルであった。
◆学力低下が著しいのは学力の中位から下位の子供たちである。つまり、従来は何とか授業についてきた注意から下位の子供たちが底ぬけしたことで、全体としての平均点が下がっている。だとすれば、学力向上を政策目標とするならば、底ぬけを止める対策が必要となるはず
◆平均点を上げようと先生が必死になれば、できの悪い子を病欠させたり先生がカンニングを手伝ったりという結果になる。競争原理は特効薬ではなく、現実の問題を何も解決しない
◆抜本的な変革、改革を求めるためには、有能で強力なリーダーが必要だという発想から、民主主義を否定することにつながる◆少数の主人と多数の従順な奴隷たちに社会を二極化して、反抗する人間を片っ端から粛清できるシステムでなければ、「社会を一気によくする」ことはできない
 ⇒ここでは批判的な意味で使われています。
◆市場で生きてきた営利企業だけではなく、学校や病院などの利益追求と無縁だった組織も、ヒエラルヒー体質を強化していくことになる。こうして、競争主義が広がるにつれて、様々な組織においては上下関係が強化され、上意下達のエリート主義がはびこる
◆哲学者の柄谷行人は、統整的理念という言葉で、この点を説明する。統整的理念とは、柄谷がカントから借りてきたもので、この世のどこにも存在しないものだが、それがあることによって社会を少しずつよい方向に換えられるという概念である
◆本当に世の中を変えるためには、現実を冷静に見渡し、策を周到に練らなければならない。そのためには、一時の熱狂に踊らされない慎重さと、有益な政策を見極める熟慮が必要である。

【ルール10】
◆我々が生きていくうえでは、いちいち理由を詮索せず、そういうものだと信じて守るべきルール、自明のルールが必要である。人を殺してはならないというのは、その種のルールの筆頭である
◆理由のない当たり前に縛られる人間は、未開人である。人間が知的に自立した存在になると、自分たちを縛る当たり前の根拠を疑い始める。そこから政治の闘いも始まる。◆政府の持っている予算や公務員の人的資源には制約がある。したがって、何が政策の対象になるかを選択すると同時に、何は政策の対象にならないかを選択することが必要となる。
◆政策の対象にならない問題は、社会的な問題として認知されず、個人の自助努力の問題、市場における取引の問題として放置される。

◆政策テーマを設定することは政治的な作業であり、必ずしも公平ではない。場クラックとパラッツは、社会的偏見の動員という言葉によって、この点を説明する。
◆伝統、イデオロギーなどの道具を使ってある種の問題設定を人々に受け容れさせるのが、社会的偏見の動員である
◆介護労働者は常に低賃金労働を強いられ、介護を受ける側は十分なサービスを受けられない揉んだ誌がある。介護に対する政策的取り組みを不十分なままにしておくことを正当化する社会的偏見が、家族を中心とする日本的福祉という言葉である
◆まず現場で苦しんでいる人が自ら声を上げなければ、メディアにとっても問題を伝えようがない。無力感を持つ必要はない。






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2017年1月28日土曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その4

前回
その3

【ルール7】
◆あまりにも純粋に理想を追求しようとすると、自分と同じ理想を共有しない人々が堕落した存在のように思えてくる理想を求めれば求めるほど、理想を邪魔する物を厳しく攻撃しようとする心理が働く
◆若者が保守化してから久しいが、文科省の役人や自民党の文教族の政治家は、若者が政治に関心を持ったらまた反体制運動を行うのではないかと恐れている

◆アメリカのテレビ番組
⇒この話はとても素晴らしいです。是非読んでみて下さい。
◆時効制度には、「権利の上に長く眠っているものは民法の保護に値しない」という趣旨が含まれている

◆棄権は、総体的な多数派(絶対数では少数派かもしれない)に、政治的な決定について白紙委任をしたことになる
◆創価学会の会員は、どんなことがあっても必ず選挙に行くことによって影響力を持つ、小選挙区では、当選者と次点者の票差が1、2万票というケースが多い。そうした時、創価学会会員の票が自分に来るか、相手方に行くかは、当落を左右する
◆若者は半分も投票に行かない。若者向けの政策を一生懸命打ち出しても、当の若者がちゃんと投票に行って、自分に入れてくれるかどうか分からない。自分の当選を再優先にする政治家は、当てにならない若者よりも、必ず投票に行く創価学会会員に向けた政策を訴えることになる


【ルール8】
◆労働者の運動が協力であればあるほど、資本主義時代が持続するために、市場経済がもたらす資源配分の格差を、縮小するメカニズムを埋め込むことが必要不可欠となった
◆左派といえば、日本では共産主義や社会主義などのイデオロギーを連想するが、それらは国家権力によって平等を追求する極端な左派である。アメリカにもヨーロッパにも、格差を全部否定することはできないという前提で、ある程度の平等化を志向する穏健な左派が存在する

◆コリン・クラウチ:デモクラシーの放物線
◆戦後資本主義がケインズ主義や完全雇用と結びついた時代においては、経済的ヒエラルヒーによる差異が縮小され、不可視化されたということができる。日本においては、1980年代に出現した「総中流社会」において、差異の曖昧化は完成した。
◆政治における差異が曖昧になるということは、それだけ対立や闘争のエネルギーが低下するということでもある。社会民主主義勢力が強かった西欧においては、労働者への配分に関する合意の政治が成立した
◆富のヒエラルヒーが復活するという新たな環境において、ヒエラルヒーを正当化する政治的圧力と、平等を回復させようとする政治的圧力が対峙し、政治的対立軸が復活するという展開が見えられるようになる

◆クラウチは、最近の先進国の民主政治に共通する「ポスト・デモクラシー」という傾向として次のような指摘を行った
 ・新たな中・下層階級の人々が、自らの利害や要求を政治的に主張する能力を失う
 ・ビジネス、特にグローバルな市場で活動するビジネスの政治的な力が大幅に増加するという変化である
 ・バランスを欠いた政治の出現
◆ヒエラルヒーの縦の差異を政治的な差異として認識することが非エリートの市民にできていない。
 ・諦め
 ・「分割して統治せよ」という鉄則を政治階級が守っている

◆トニー・ブレアといえば、イラク戦争を引き起こした点でその罪は万死に値するが、雇用政策についての功績は大きい
◆小泉は、郵政や建設などをはじめとする官僚機構と、その親衛隊としての自民党族議員を敵と設定して、自らの改革を正当化した。
◆飯尾潤:「行政依存人」と「経済自立人」。この種の議論は、政策とは無縁の経済活動が広汎に存在するという空虚な前提に依存していている点で、大きな誤りをはらんでいる
◆政策を自ら有利な方向に向けるために、ビジネスエリートは政治に参加している。もちろん、その際の参加とは一市民としての政治参加からはかけ離れたものである。豊富な資金力により政治家や政党にロビーイングを行い、金の力で政策決定に影響を及ぼす

◆およそ政策とは、既存の利害関係を変更する者である。
◆重要なことは、すべての当事者が等しく利己的動機を追及する相対主義的な視点に立つことである。そして、各当事者に政治的発言の機会を平等に保障することが、現代の多元的民主主義にとっては必要
◆弱い立場の者に対する配分を減らし、経営者など弱い立場の者の収益を拡大する効果を持っている政策転換を、今日者の利己的政策形成と呼べば、議論としては公平である。しかし、実際にはこれらの政策転換は「改革」と賞賛された。

◆労働組合が頑張ることで労働条件に関する一般的な法律が守られる、商工会が頑張ることで中小企業を保護する税制ができるなど、組織が政治的に活動することで弱者を保護するという機能も発揮された。
◆だからこそ、小さな政府を目指す政策転換の中で、これらの団体は切り捨てられ、今や衰弱の一途をたどっている。
◆新しい連帯を作るためには、衰弱している団体が、生き残りをかけてつながりの輪を広げることが必要である。その際、メンバーの利益だけを保護するという内向きの姿勢ではなく、同じような境遇にある人間に自分たちの勝ち取った利益を共有させるという開かれた姿勢が必要

つづき
その5 ラスト





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2017年1月27日金曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その3

前回
その2


【ルール5】
◆政治資金の透明性を高めるための改革が必要であることは言うまでもない。しかし、政治家に清貧を、政治活動に低コストを求めることには限界がある
◆政治家を専門の仕事にするということは、議員という仕事から生活するに足るだけの報酬を得なければならないということを意味する。
◆人間らしい生活ができる程度の給料をもらうことこそ当たり前とすべきである。

◆金大中は、韓国の軍事独裁政権を倒して民主主義を実現するために闘い、やはり長い間投獄された
◆判断力とは、希望的観測を持たないことでもある。自分にとって「不都合な真実」であってもこれを直視し、今取るべき最善の道を選ぶことが判断力である

◆郵政選挙では刺客として送り込まれ、地域には何の関係もなかった候補者が、短期間の運動で大量に得票した。そこに、国民と政治化との間における直接性をめぐるねじれた関係を見出すことができる
◆多くの人々は政治化に世話を焼いてもらうことをうざったいと思うようになったのであろう。政治家と人々がコミュニケーションを持ち、地域の切実な問題を解決してもらうと言う意味での直接的関係は、もはや過去のものになろうとしている。
◆今後、少数者や集団への利益配分が、既得権として一切合財否定されるなら、公共の利益は何を意味するようになるのであろうか。人々の生活上の苦労を顧みない民主政治なるものはありえるのだろうか。私にはそれはもはや独裁政治だと思える
◆人々が何に苦しんでいるのか、どのような助けを必要としているかを知ることは、政治の原点である。小泉時代にはすっかり悪者扱いされたが、鈴木宗男や亀井静香の方が、他社に対する共感能力という点では、小泉やその手下よりも、はるかに立派な政治家である

◆官僚という人種は、既存の制度や法律を前提としてものを考え、あらゆる問題を既存の制度の枠の中で解決しようとする。それは決して悪いことではなく、官僚に求められる資質
◆警察官や税務署員が、勝手にルールを作り変えて、市民を捕まえたり、税金を徴収したりすれば、市民生活は大混乱に陥る。官僚が杓子定規で、保守的なのは仕方のないこと
◆やる前から、予算がない、法律はこうなっているなどと逃げ口上を言うのなら、政治家など必要ない。最近の若く、頭の良い政治家は、官僚と一緒になって、狭い範囲で政策を考える傾向がある


【ルール6】
◆矛盾を矛盾として感じないよう、国民の感覚を麻痺させれば、あるいは、国民に二重思考を植え付ければ、政治家はやりたい放題ができる。戦争を起こして多くの国民を殺しても、それは平和のためなのだから文句を言うなと国民を押さえつけることができる
◆国会質疑で野党からイラクのどこが非戦闘地域かと尋ねられ、小泉は自衛隊のいる所が非戦闘地域だと開き直った。これは論理学では循環論法である。
◆自衛隊は非戦闘地域に派遣すると小泉は言う。同時に非戦闘地域とは自衛隊がいる所だと言う。これは何も言っていないに等しい。
◆政治家の責任を追及することは、政治家の言葉の中にある矛盾を追及することと同じである。政治家に対して、「以前あなたはこう言ったが、今していることはそれと食い違うではないか」という形で、政治家を追及するのが最も一般的な戦い方である。

◆日本の経済の構造とは一体何なのか、それをどのように変えていくのか、小泉は一度も体系的な説明をしたことはない。むしろ、中身をきちんと説明しなかったからこそ、構造改革という路線は人々の指示を集めたのである
◆小泉改革による「医療制度改革」が決定されて何年か経って、ようやく人々は曖昧な言葉が実際に何を意味するかを理解し、怒り始めた。後期高齢者医療精度は高齢者に早く死ねと言うようなものだと、高齢者が言い出した。しかし、これは最初から分かっていたことである。
◆同じ過ちを繰り返さないためには、政治の言葉の意味を問いつめることが必要

◆人間が政治現象を眺めるとき、常に政策や政治家の力量について合理的な判断を行うということはありえない。愛着、嫌悪、恐怖、侮蔑などの勘定や情緒が政治現象に関する判断や評価には付きまとう。イメージはこうした感情の作用と密接に結びつく。
◆ステレオタイプは多様な事物を単純化し、自ら思考することなしに事物を理解できるという感覚を与えるところに大きな機能があった
◆社会の中で平穏な生活を営むためには、人は時として、自らの良心を放棄してもステレオタイプを共有するという選択を行うものである。ステレオタイプに対して異論が唱えられたとき、多数派の側が異論を圧殺しようとするのは、ステレオタイプが多数派の人々にとって秩序の基盤となっているからである

◆為政者は自ら推し進める政策に反対する反対勢力について、ステレオタイプを造り出す。
◆我々はステレオタイプなしに物事を認識することはできない。そこが難しいところである。我々に必要なことはメディアに氾濫するイメージがステレオタイプに陥っていないかどうか、考え直すこと、少しでも別の角度からものを見るよう試みること
◆メディアにはまだ良心が残っている。こうした良心を更に広げ、メディアでの発言のスペースを大きくしていくためには、視聴者、読者である我々の責任が大きい。メール一通、ハガキ一枚でいいから、これはよかったという意見をテレビ局や新聞者に伝えることで、メディアは変わる。


つづき
その4





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2017年1月24日火曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その2

前回
その1

【ルール3】
◆リスクを自分で負う社会とは、いわゆる「自己責任」を基調とした社会
◆自己責任:人間が陥る不幸や抱え込む苦労には、すべて自分の中に原因が存在するのであり、その種の不幸や苦労について自分で解決すること、解決できなければ自分ひとりで苦しむこと
◆「再チャレンジ」が可能であれば、失敗や不運を自己責任といわれても、あきらめがつく
◆ヨーロッパや日本などの多くの国では、リスクを社会全体で引き受けるという発想で社会が作られている。そもそも身分制度が存在していたヨーロッパではアメリカのような不運や失敗を取り戻す機会は存在しなかった
◆「情けは人のためならず」最近はこの言葉は、人に親切をかけることはその人のためにならないという自己責任論として誤解されることもある。
◆他人に親切にすれば、それは回りに回って自分を助けることになるという意味であり、リスクの社会化の必要性を教える庶民の知恵である
◆零細な建設会社もつぶれずに生き延び、田舎で雇用を作り出すという点では、談合はリスクの社会化の一形態だった
◆規制緩和とは、社会経済活動を制約する法律の仕組みを撤廃すること
◆労働の世界に規制緩和が及べば、従来の労働者保護のルールが廃止され、雇う側がより安く労働者を使えるような環境が作られる
◆腐敗や特権を正すという改革を進め、自民党や官僚をぶっ壊し、壊しっぱなしにしていれば、リスクの社会化の仕組み自体も壊れてしまう。


【ルール4】
◆落語には情けは人のためならずという教えを含んだ話がたくさんある
◆「孝行糖」⇒障害者福祉のネットワークが地域に存在した
◆最近の日本では、若者に単純な仕事をあてがって、これを使い捨てにし、そのような仕事の仕方を自己責任だ、自由な選択の結果だとして正当化する風潮がある。
◆一人前になるための修行の機会を与えないでおいて、若者には単純労働の能力しかないというのは、実に不公平な議論である

◆経済戦略会議の答申は、経済的な面から自己責任論が正当化されている。補助金や護送船団型規制で守られているのはエセ弱者であり、これらの人々が持つ既得権が声域となることで、社会には実質的な不平等が広がるというわけである
◆経済財政諮問会議などの議論は、部分的に正しいことから出発して、それを過度に一般化し、誰も反対できない正論を形成するというインチキを行っている
◆人間は自分で自分の生活を支えるべく、努力すべきだという議論も、それ自体は正しい議論である。しかし、だからといって生活を支える上で社会からの支援を一切受けないという態度を取らなければならない、ということにはならない。
◆努力したものが報われる社会は確かに、一般論としては望ましいことであろうが、今の日本で強者がこの台詞を言うとき、暗に努力しない者が不当に得をしているという主張が含意されている
◆全ての人間が同じ競技場に立つことなどありえない。競争の舞台には、国体から学区の運動会までいろいろなレベルがある。
◆庶民の考える努力とは、学区の運動会で全力疾走するように、たとえ別次元であっても、自分の力の限界に挑戦し、一生懸命頑張るという意味である。
◆集団はオーバーアチーブする人間が、アンダーアチーブする人間を支援し扶助することで成立している
◆オーバーアチーブしている人間に資源を傾斜配分すべき、それこそがフェアネスだということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を勘定に入れ忘れているからできる

◆新自由主義のメッカ、アメリカ北東部は、地震や台風等の自然災害とは無縁の地域である。
◆巨大災害のリスクが顕在化した時、人間の能力の差などほとんど無意味になる
◆すべての人間が最大の儲けを求めて合理的に行動するなどということはありえない
◆すべてを自由に選択できると言う考えは虚妄。従って自己責任という考え方にも限界はある

続き



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2017年1月22日日曜日

若者のための政治マニュアル 山口二郎 その1

靖国神社の解釈の仕方、うおって思った。

個人的に靖国神社は英霊を奉るところだと考えていましたが、
何で右寄りの方々がシンボリックに靖国を参拝するのか?
家の神棚で拝めばいいんじゃないか?
って思ったり。

そこにはやっぱり政治的意図があって、どんな意図かというと、この人の解釈が説得力がある。
我々は「英霊を奉るために」という意義を与えられ、誘導されていたのではないかと。



ルール1
◆衣食足りて、家族や仲間と楽しく生きることを最も大事だと考える普通の人の生き方を否定することは、政治において最もしてはいけないこと
◆キリスト教はカトリックとプロテスタントに分かれたが、両社は血で血を洗う殺し合いを繰り返した。この頃試合の愚かさに気づいて、異なる信仰を持つ人が互いに声明を尊重しようという約束をしたのが1648年のことで、この約束をウェストファリア条約と呼ぶ。ここから近代の政治が始まった

◆国家は、戦争を起こすと、人間の生命を軽んじるからこそ、戦争で死んだ人間に過剰な意味づけを施し、栄光で包もうとする。靖国神社もその一つの表れである
◆政治家が個人の命について意味づけすることが許されるならば、生きる価値を持つ人間と、生きる価値を持たない人間を、政治家が選別することを許してしまう

◆赤木智弘の議論⇒赤木は、平和憲法を持ち、自由と民主主義を標榜している日本の社会で、人間をモノ同然に扱って経済が動いている欺瞞性を批判したかったのだと私は解釈している
◆死刑になりたくて人を殺すという犯罪がある以上、罰を強化しても犯罪は防げない
◆犯罪は一義的には個人の責任である。しかし、犯罪に対する怒りや増悪をたぎらせるあまり、犯罪を生み出す社会の側の要因について目を閉ざしてはならない。秋葉原の連続殺人事件にしても、犯人は最初から凶悪な人非人ではなく、普通の生活をする若者であった

◆1960年代には今よりも大きな貧困や不平等が存在していた。しかし、人間にとって人生のモデルが見えやすかった時代ではあった。
◆建設会社といえば、公共事業に群がって利益をむさぼるというイメージもあるが、田舎の地域で人々を雇い、給料を与え、生活を支えたという役割もあった。

ルール2
◆国会で決める法律や予算は公共の利益を実現するものでなければ困る。しかし、法律が公共の利益を実現すべきだという考えと、実際に法律が公共の利益を実現しているという事実はまったく別次元の話である
◆議会や社会生活の様々な場面で、いろいろな立場の人がそれぞれ自分の求める利益を語り、その中から公共の利益を発見するのが民主主義である。また、政治家や官僚や審議会はその手助けをするために存在している
◆私的な利益を主張するものは、議会や審議会で政策を論じる資格はないといって排除することは、民主政治を貧しくする。私的な利益の自己主張を否定して、公共の利益を探すなら、それは"青い鳥"を探すようなものである。

◆日本人が本当に権利を守るという意思を持っているならば、サービス残業だの過労死だのと言った問題が起こるはずはない
◆権利と似た言葉に特権がある。特権とは、読んで字の如く他の人を押しのけてあなただけに与えられる利益である。たとえば、クレーマーやモンスターペアレントと呼ばれる人々の存在が最近注目を集めている
◆(特に若者の)権利主張が過剰だと説得したがる保守派の政治家こそ、特権の主張を後押していることが多い。今までの自民党政治は、言ってみれば特権の切り売りで有権者の支持を集めていたようなものである
◆警察や裁判所が政治的に中立になるためには、時々政権の主が入れ替わるほうが良いに決まっている

◆自分の考えを持ち、それを表現することについては、わがままでよい。しかし、自分の自由を守りたいと思うなら、他人の自由も守る。このようにして、お互いに権利を尊重する社会ができていく。
◆歴史をたどれば、今我々が当然と思っている事柄、表現の自由や言論の自由も、二、三百年前なら、あるいは今でもある国にいけば、不埒な輩のわがままと思われたいた。

つづき
その2




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