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2017年12月5日火曜日

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 ジェレミー・リフキン

限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 
ジェレミー・リフキン

「資本主義の稼働ロジックは、成功することによって失敗するようにできている」

資本主義
競争
限りなく限界費用がゼロに近づいていく
ものの付加価値がゼロに近づいていく
売り上げがなくなっていく
資本主義の崩壊

シェアリング・エコノミーの台頭

※超簡略化して書いてます。

読むにも体力使うすげえ本だった。
2015年の本で、シェアリングエコノミー・IoTは、
その当時は先読みな話だったんだろうけど(日本においては)、
現在それが当たり前になっている世の中の速度が怖いっすわ。




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2017年9月17日日曜日

服従 ミシェル・ウェルベック

アメトークでオードリー若林(失礼!汗)ピース又吉が紹介していた本。


2020年のフランス。
ファシスト政党とイスラム政党の決選投票を迫られた国民、
着実な戦略的手法をとってきたイスラム政権は政権奪取。

大学教授の主人公。
国立大学ではイスラム教徒以外は教鞭をとれなくなる。

不自由なく年金をもらいながら余生は送れるが、
改宗すれば高い地位、何人も若い妻を取ることができる。
折から改宗を進められる主人公は、どうするのか。

徐々に変化していく主人公の周辺、
どこからどこまでがファクトか分からないほどリアルな政治的動向。

その一方でダラダラした主人公の心的描写や口の悪さ、どうでも良いような性描写。
これらが振り子のように繰り出されることで、物凄いリアリティーを生み出している。
注の振り方など細部もこだわってあり、それを本文で匂わすなどオシャレな構成。

個人的に好きだったのは、
付き合っていた学生の女の子が家に来たのでスシの出前を取ったが、
気まずい感じになって彼女が帰った後にすごい量のスシが届くというシーン。
そういう緩急がたまんない。

全体のキーワードは、
・ヨーロッパの内的崩壊
・インテリの弱さ
・体制への迎合
・イスラムによるローマ帝国の再興
佐藤優の解説参照。

◆西洋諸国は、対立するギャングが権力を分け合うに過ぎないこの選挙システムを非常に誇りにしていて、時には、その熱狂を共有しない国にそれを押し付けるために戦争を起こしたりもする
◆既存の社会制度の中で生き、それを享受してきた人間にとって、そのシステムに期待するものが何もなかった者たちが、格別怖れもせずにその破壊を試みる可能性を想像することはおそらく不可能なのだ

◆現在、フランス軍は33万人を雇っています。毎年の雇用人数は約2万人です。つまりほぼ15年間でフランス軍スタッフの全体が総入れ替えということになります。若い活動家が大量に軍隊に志願するならば、彼らは比較的短期間で、軍を思想的にコントロールできるようになるでしょう。
◆彼らは、通常の政治的に重要な点にはほとんど関心がなく、特に、経済をすべての中心に置くことはありません。彼らにとって不可欠な課題は人口と教育です。出生率を高め、自分たちの価値を時代に高らかに伝える者たちが勝つのです。

◆朝、おそらく彼女はブラッシングをして、、自分の職業のステイタスに適うよう細部まで気を遣いながら服を選び、彼女の場合はセクシーよりもエレガンス中心だえろうが、とは言ってもその配分は複雑で、子供を保育園に送る前にかなりの時間をかけ、そうして一日は、メールや電話、様々なアポで過ぎていき、午後九時に疲れ切って家に帰る(ブリュノが子供を保育園に迎えに行き、ご飯を食べさせる。公務員だからだ)、すべてのエネルギーを使い果たし、トレーナーとジョギングパンツに着替え、このようにして彼女は自分の旦那様、ご主人様の前に出てくるのだ。彼は必然的に、どこかで騙されたような気がしていたに違いないし、彼女自身もどこかでやられたような感覚を持っていただろう、そういうことは年月が解決する問題ではないし、子供は育ち、職業上の責任は自動的に増加する、肉体が衰えつつあることを考慮することもなく。

◆すぐに現れた効果は失業率で、そのカーブは急速な右肩下がりになっていた。それは間違いなく、女性が労働市場から大量に脱落したことが原因だった
◆工業地域では、物々しい救済活動が行われたにもかかわらずいくつもの工場が次々と閉鎖されていった。その反対に農業と職人仕事は窮地を巧妙に切り抜けて、市場の一部を占めてさえいたのだ

◆無神論の人間中心主義の根本には傲慢、途方もない慢心があります
◆人間の文明の頂点にあったこのヨーロッパは、この何十年間で完全に自殺してしまった
◆人間の絶対的な幸福が服従にあるということは、それ以前にこれだけの力を持って表明されたことがなかった






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2017年8月10日木曜日

タリバン アハメド・ラシッド その4

前回
その3

第3章
◆カブールに対するタリバンの10か月間攻勢は、タリバン側の死傷者増大で失敗し、内部の動揺が拡がっていた。長い冬の間、穏健派はカブール政権との交渉の必要性を公然と主張した。強硬派は、全土制服の戦いを続けるよう望んでいた。パシュトゥンの内部対立は拡がっていた。
◆会議参加者の相違を乗り越えるため、ムラー・オマルを取り巻くカンダハル・グループは、オマルを「アミール・ウル・モンイーン」すなわち「信仰者たちの指導者」として指名した。これは、かれを異議なき聖戦の指導者、そしてアフガニスタンの首長とするイスラム的称号だった
◆バイアトという忠誠の誓いは、預言者ムハンマドの死後、カリフ(後継者)オマルが、アラビアのムスリム社会の指導者として確認されたときと同じ手続きだった。預言者のマントを着たことで、大きな政治的成功を収め、ムラー・オマルはすべてのアフガン人だけでなく、すべてのムスリムを指導する権利を手中にしたのだった。
◆オマルにとって、この称号はどうしても必要な正統性と、他のムジャヒディン指導者たちがパシュトゥン人から得られなかった新たな神秘性をかれに与えるものだった。それは、日常的な政治から彼をさらに引き離し、外国の外交官と合わない口実を与え、タリバンの指導部の権限拡大や反対派と話し合うことなどについて、より硬直した姿勢をとることを許すものだった。

◆ラバニ大統領は、ヘクマティアル派、ハザラ人勢力を追いだし、タリバンの攻勢を撃退した軍事的成功で、いまこそ支持を拡大して、強力な政権基盤を固めるときだと思い込んだ。ラバニ派他の軍閥たちと、新政府をつくってかれらをそれに加えるという人参をぶら下げながら、話し合いを始めた
◆タリバンは、軍閥たちとは決して一緒に行動しようとはしなかった
◆モスクワは、アフガニスタンから油が注がれているタジキスタンでのネオ共産党政権とイスラム反乱勢力の四年間にわたる内戦の終結を望んでいた。インドは単にパキスタンがタリバンを支持をしているというだけの理由で、カブール政権を支持していた

◆イランはまた、マシャドの近くに、イスマイル・ハン前ヘラート州知事が率いる約5000人の部隊のための訓練基地五か所を作った。カブール政権へのイランの支援は注目すべきことだった。なぜならテヘランは、カブールで前年、シーア派のハザラ人多数がマスードの部隊に虐殺されたことへの怒りを抑えなねばならなかったからだ
◆クリントン政権は明らかにタリバン寄りだった。タリバンはワシントンの反イラン政策に沿っており、カスピ海からイランを通らずに南へ向かうどのパイプライン計画を成功させるためにも、重要な勢力だったからだ
◆96年6月、ヘクマティアルはこの15年間で初めてカブールに入り、ラバニ政権が提供した首相のポストに就任、かれの党は9つの閣僚ポストを引き受けた。同日、それへの報復として、タリバンはカブールへの大規模なロケット攻撃を行い、61人が死亡、100人以上が負傷した

◆ラバニとこれら軍閥たちの合意で、かれが提案した「全アフガン人対話」が始まった。それは重要な成功で、ラバニが同盟を固める前に行動を起こさねばならないと気づいたタリバンを、狂暴にするものであった
◆他の軍閥たちと取引を拒否するタリバンの頑固さに、パキスタンは不満を募らせていたが、タリバンが冬になる前にカブールを占領するため、新たな大攻勢への支援を要請したことに、結局、納得したようにみえた

◆タリバンは96年8月、ジャララバードに奇襲攻撃を開始した。
◆マスードは、全方向から攻撃されれば首都防衛が不可能であることを知っており、戦うことなく首都を放棄することを決断した。かれは戦って多くの血を流し、カブール市民の支持を失うことを望まなかった。タリバンの完全勝利だった。

◆ナジブラの処刑は、カブールでのタリバンの蛮行を象徴する、最初の出来事だった。それは市民たちを恐怖に陥れるための前もって計画された殺人だった
◆ナジブラの身体を傷つけ辱めたことは、いかなるイスラムの命令からも逸脱しており、公正な裁判もなく、死体を見世物にしたことにカブール市民の多くが強い反感を抱いた

◆マスードは最も輝いた軍司令官の一人で、対ソ聖戦の中から、そのカリスマ的人格が出現した。生地がカブール北方のパンシジール渓谷であることから「パンジシールの獅子」と称えられた
◆かれ自身の大きな問題はタジク人であることだった。1929年の短期間に終わった決起のとき以外、タジク人がカブールを支配したことはなく、パシュトゥン人は信用していなかった

◆10月10日、カブールを追われたラバニ大統領、マスード、ドスタムそしてハザラ人の指導者カリム・ハリリがサラン街道沿いのヒン・ジャンで会談し、タリバンに対抗するため「祖国防衛最高評議会」を結成した
◆カブール陥落とそれに続く激しい戦闘は、この地域全体に大きな不安を引き起こした。イラン、ロシア、中央アジアの四か国は、タリバンに北進しないように警告、反タリバン同盟の軍備再強化を支援すると公に宣言した。一方、パキスタンとサウジアラビアはカブールに特使を送り、どのような支援がタリバンの役に立つのかを検討させた
◆多くの人たちが不可能だと予想していた、学生運動による首都占領がまさに実現した。人的損失が巨大だったにもかかわらず、タリバンの威信はかつてなく高まった





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2017年6月25日日曜日

タリバン アハメド・ラシッド その3

前回
その2

第2章
◆若者たちの多くは、これまでの人生をパキスタンのバルチスタンか北西辺境州にある難民キャンプで過ごし、アフガン人のムラーやパキスタンのイスラム原理主義者政党によって国境地帯に設けられた何十校ものマドラサのどこかで、イスラム教育を受け、なにがしか身につけた。
◆かれらを教育したムラーたちは、女性は誘惑的で男性をアラーへの奉仕から引き離す不必要なものだと、強調した。だから、タリバンがカンダハルに来て、女性たちが外で働くことも、学校に行くことも買い物に出ることさえも禁じて、家庭に閉じ込めた際に、マドラサの若者たちの大部分は、こうした措置を何も異常だとは思わなかった。

◆皮肉なことにタリバンは、目的達成のために規律正しく、動機が明確で、非常だという点で、イスラムと戦うために宗教的軍令を布告した十字軍とそっくりである
◆タリバンが圧倒的な勝利を始めた最初の数ヶ月に、神の兵士だけが持つ不敗神話が作り出された。

◆マザリの死は、アフガンのシーア派とその保護者のイランの眼に、タリバンを非難の対象として永遠に映すこととなった。ハザラ人はマザリの死を絶対に許さず、2年後、北部で数千人のタリバンを殺して復讐した。

◆マスードは、カブール南郊でタリバンがハザラに加わるのを許すつもりはなかった。95年3月11日、かれはタリバンへの懲罰的攻撃を開始、タリバンは市街戦で数百人が死んだうえ、市外に追い出された。これは、タリバンが敗北した初めての戦闘だった。

◆前進しながら、タリバンは大量の小火器、戦車そしてヘリコプターまで手に入れ、部隊をもっと多く配置できるようになった。彼らが支配したところでは、住民は武装解除され、道路も通行できるようになったので、すぐ食料品の価格が下がった。長く戦争に苦しんできた人々は驚喜した

◆イスマイル・ハンほど、名声が高いムジャヒディン司令官はいなかったし、ソ連との戦争で、ヘラートほど市民が犠牲になったところはなかった
◆ソ連はペルシャ語を話すヘラート市民は扱いやすく、平和的で、アフガン人のなかでは最も洗練されていると思っていた。
◆1980年、市民たちは前例のない都市蜂起に立ち上がった。市民たちがソ連軍将校とその家族たちを殺したので、イスマイル・ハンは市内のアフガン政府軍兵舎で反乱を起こし、ソ連兵とアフガン人の共産主義将校を殺し、市民たちに武器を配った。ソ連人数百人が死亡した
◆モスクワは反乱鎮圧のためソ連トルクメニスタンから戦車300両を急派して、数日間に2万人以上のヘラート市民が殺され、イスマイル・ハンは新しいゲリラ部隊とともに市外に脱出、数千人の市民がイランに流出した

◆その後の10年間、イスマイル・ハンはソ連占領軍に対する熾烈なゲリラ戦を続け、支配地域では効率的な行政を実施して住民の尊敬を集めた
◆イスマイル・ハンは、93年の時点で、その半分が女生徒の4万5千人の生徒たちを、市内の学校で学ばせていた。支配下の三州でその数は、7万5千人に達していた
◆カンダハルをタリバンが占領したときには、45の学校が閉鎖され、少女たちは自宅で勉強することも禁じられた
◆95年、タリバンの機動部隊がヘラートに突入、イスマイルの部隊はパニックとなり、かれはヘラートを放棄、司令官たちや数百人の兵士とともに、イランに脱出した

◆ヘラート陥落に怒ったカブールの新政府群衆はが、パキスタン大使館を襲撃、政府軍兵士が見ている前でパキスタン大使を傷つけた。カブールとイスラマバードの関係は最悪になり、ラバニ大統領は、パキスタンがタリバンを使ってかれの政権を打倒しようとしている、と公然に非難した
◆ヘラート陥落はラバニ政権の終わりの始まりだった

その4




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