2016年11月8日火曜日

トライブ=人を動かす5つの原則

アマゾンが唯一恐れた会社


ザッポスという会社をご存知でしょうか?


この会社は靴のネット通販で大成功を収めて
売上1000億にまで急成長し
最終的にAmazonが買収した会社です。


急成長の秘密は顧客満足度がとても高く、
通販でリッツカールトンやディズニーランド
レベルの顧客サービスを実現していることです。


それだけでなく社員満足度も異常に高く、
働きたい人が募集枠を求めて
空きが出るのを待っているそうです。


社員全員が幸せだからこそ
顧客にも幸せを届けることができる
というわけです。


優秀な人材が向こうから集まってくる会社は
やる気のない社員ばかりで成り立っている
会社とは勢いもパワーも全然違います。


Googleなどがその分かりやすい例です。


そのザッポスのCEOトニーシェイが
「ザッポスで無意識にやろうとしていたことが
体系化されている」
と絶賛した本がこれです。

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人の問題で困っている人にとっては
とてもオススメできる一冊です。

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公正取引委員会とはどんな組織なのか。

先日こちらの問題を取り上げました。
公正取引委員会 介護分野に関する調査報告書について

自民プロジェクトチームから批判されても、
取り下げるゼロらしいwww

では、
そもそも公正取引委員会とはどんな組織なの?
ということで、wikiリンクとメンバー経歴をまとめ。


公正取引委員会(こうせいとりひきいいんかい、英語: Japan Fair Trade Commission, JFTC)は、日本の行政機関の一つ。内閣府外局として、内閣総理大臣の所轄の下に設置される、合議制行政委員会。略称は、公取委(こうとりい)、公取(こうとり)。行政機関としては外務省1869年設置)、会計検査院1880年設置)に次いで古くから名称変更されずに続いている。

自由主義経済における競争政策の促進を目的として、「経済の憲法」ともいわれる私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(いわゆる独禁法。日本における独占禁止法)を運用するため、委員長及び4名の委員が独立して職権を行使する。

wiki より


◆委員長
杉本和行
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%92%8C%E8%A1%8C
財務省 元事務次官

◆委員
○小田切宏之
http://www.econ.hit-u.ac.jp/~koho/jpn/introduce/hokoku/hokoku2009/pdf/PO_odagiri.pdf
産業と経済のご専門の学者さん。イノベーションや知的財産も。

 ○幕田英雄
昭和50年司法試験合格。昭和51年東京大学法学部卒業。司法修習生。昭和53年検事任官。平成18年新潟地方検察庁検事正。平成20年最高検察庁検事。平成21年7月宇都宮地方検察庁検事正。平成22年4月千葉地方検察庁検事正。平成23年8月最高検察庁刑事部長。平成24年6月検事退官、同年7月公正取引委員会委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです
   アマゾンより。検事エリートですね。

○山崎恒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%81%92
裁判官エリート。

○山本和史
http://www.jinji.go.jp/kensyusyo/jikan/yamamoto.pdf
公取叩き上げ。

○事務総長
中島秀夫
http://www.jinji.go.jp/kensyusyo/jikan/nakashima.Profile.pdf
財務省畑。


結論としては、公正取引員会ってのはガツガツの財務省畑ということですね。


2016年11月7日月曜日

「武見太郎」まとめ その4

前回
その3

◆理化学研究所時代・開業
・仁科芳雄に誘われ、慶応の内科医局を辞め、理化学研究所に入る。
  ※理化学研究所
    -大正6年(1917年)創設
    -高峯譲吉、渋沢栄一、桜井錠二らの尽力による
    -財源は皇室よりの御下賜金、政府補助金、民間実業家の寄付金により出発
    -戦中は軍事産業に利用される
    -多くのノーベル賞受賞者を輩出
    -2003年より独立行政法人化、2015より国立開発研究法人化
・自由に研究できる反面、無給だったので食いぶちを稼ぐ必要があった。
・医局に残れないこと、また、数の少ない官公立病院は帝大で占められていた。

・銀座4丁目に武見診療所開業(京橋、都医、日医に入会)
 -「日本医師会の活動にほとんど無関心だった」 出典:三輪和雄(1995)p.195
・吉田茂(義理の叔父)の組閣を手伝い、政界へ足を踏み込む。

◆日本医師会副会長時代
・東大教授佐々貫之・柿沼昊作が田宮猛雄を会長として推す際、副会長を武見に打診。
・「日本医師会の副会長を引き受けるかどうかで、実は三日ぐらい考えた。これは運命だ、と考えた。過去の自分の勉強に新しい活路を求めるとすれば、医師会は新しい天地だ。学問と社会をつなぐという役割が専門団体としての医師会にはあるはずだ。」  出典:三輪(1995) p.163

・昭和25年、田宮猛雄が当選し、副会長として医薬分業問題に取り組む(46歳)。
 -同代議員会にて「投薬は治療行為であり、治療は医師の全責任である」との決議。
 -昭和26年、『医薬分業は是か否か』という一般公開討論会にて、「私は医薬分業を実施していて、処方箋を書いて渡すが、現状では信頼できる薬局が少なく、正確な調剤ができるという保証はない」と発言(暴漢に襲われる)。
 -・GHQサムス公衆衛生福祉局長に「きみは戦争に負けたことを知っているのか!」と言われ、「あれは軍人が負けたのであって、医者が敗けたのではありません!」と発言し、辞職に追い込まれる。

◆医薬分業問題
≪医薬分業≫
 医師が患者に処方せんを交付し、薬局の薬剤師がその処方せんに基づき調剤を行い、医師と薬剤師がそれぞれの専門分野で業務を分担し国民医療の質的向上を図るものである。
 出典:平成24年版厚生労働白書より抜粋

・医師は古典的には、薬師(漢方薬の専門家)だった。
・医制(1874年) 第41条「医師たるものは自ら薬をひさぐことを禁ず」として、欧米の医薬分業が取り入れられたが進まず。
 -「当時日本には調剤薬局がほとんどなく、医療保険は薬剤を中心に組み立てられており、また患者は医師から薬をもらうことに慣れていたので、現実の問題として実施は困難であった。」出典:池上直己ほか(1996)「日本の医療-統制とバランス感覚-」より抜粋

・GHQ占領下、薬剤師会(武田孝三郎副会長)がGHQに推進を具申。
・GHQサムスは日医・日歯・日薬三者会談を指示(前述)
・昭和26年に医薬分業法成立するも、1956年改正等で日医により骨抜きにされる。
 -「医師・歯科医師・獣医師が、特別の理由があり、自己の処方箋により自らするときを除き」という但し書きが追加(薬剤師法19条柱書但書)


次回
その5



参考文献
       

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2016年11月4日金曜日

「武見太郎」まとめ その3

前回

≪人脈≫

◆岩波書店・理化学研究所グループ
岩波茂雄
岩波書店創設者
中谷宇吉郎
北大教授・理化研
藤岡由夫
文理科大学教授・理化研
和辻哲郎
哲学者・思想家
西田幾多郎
哲学者・京大教授
鈴木大拙
仏教学者
安倍能成
哲学者・貴族院議員・文部大臣
学習院院長・法政大教授
小宮豊隆
独文学者・文芸評論家
仁科芳雄
理化研
 
学者

中山伊知郎
経済学者、一橋大教授


◆政治家・行政官
近衛文麿
総理大臣・華族
牧野伸顕
内大臣・大久保利通の娘
吉田茂
総理大臣・牧野伸顕の娘婿
米内光正
総理大臣・海軍大将・連合軍艦隊司令長官
石黒忠悳
陸軍軍医総監・軍医医学学校長・枢密顧問官・日本赤十字社長・武見家後見人・医学会社創設者(医師会の前身?)
石黒忠篤
農林大臣・農相大臣・参議院議員
南 弘
逓信大臣・台湾総督・枢密顧問官
大久保和喜子
高橋是清の娘・大久保利通の息子の嫁
橋本龍伍
厚生大臣・橋本龍太郎元総理の父

つづき
その4


参考文献
       

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「武見太郎」まとめ その2

前回
その1


◆幼少~中学生期
・京都で生まれ、すぐに上野桜木町へ移る。
・日蓮宗の熱烈な信者で、アメリカ帰りの自由主義的な父。
  -「あの信念と発想は、少年期に培われた日蓮宗の宗教的下地と闘争心から芽生えたものである」
   三輪和雄(1995)「猛医 武見太郎」 p.226
・日蓮宗の高僧や元陸軍軍医総監石黒忠悳と幼い時から接触する。
・14歳の時、腎臓結核と診断され半年の命と言われる。まず1年安静し、念のためもう1年安静した。
  -この時、ダーウィンの「ビーグル号航海記(冒険と生物学のミックスされた叙事詩)」や「種の起源」、法華経の解説本、日蓮の伝記などを読みふける
・ある時期から急に良くなり復調する。
  -「私が医者になろうとおぼろげながら決心した時期がこの時代であった。・・・中略・・・当時の大家がどうしてなおったのかわからないと言われることに対して、子供心に反発を感じた。」
   武見太郎(1968), 『武見太郎回想録』日本経済新聞社

◆慶応普通部・医学部時代
・開成中学4年で慶応義塾普通部へ転入する。
・受験勉強をする必要がなかったため植物(薬物、漢方薬)や生物に親しむ。
・細胞分裂の標本を見て美しさに魅了され、医学部進学を決意する。
・医学部予科に進み、他学部の授業にも顔を出しつつ幅広く学問を行い、仏教青年会(仏教に関する勉強サークル的な団体)にも加入するなど、青春時代を過ごす。
・小泉丹教授の漁村の生活実態調査に随行する中で、地域医療に興味を持つ。

◆慶応大学医局時代
・教授をトップとした厳格な医局の上下関係に馴染めず、他の医局員から排撃を受ける。
・諸外国の文献をあたる中で、海外の最新の医療と、経験に頼る慶応の内科医局の格差を感じる。
・慶応大学に新設された食養研究所でお茶の効能など学際的な研究に没頭する。
・教授や事務長に直談判して心電計を購入させた。
・農林省共済会診療所の開設に際して、出張診療を命じられる(農林次官石黒忠篤の計らい)。医学部時代の経験も生かし、生活指導や食生活改善を農林省に進言する。農林省の官僚たちとの交際を広げる。
・岩波茂雄と出会い、多くの知識人との交流を得る。


つづき
その3


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